の上へ這上《はいあが》って、又、暫《しばら》く、四辺を、警戒していたが、静かに、指を口へ入れて、ぴーっと吹いた。
 提燈が、堤の両側に、川下に、川上に動いていた。夜風が、もう冷たくなっていたので、大作の身体はがたがたと、眼に見えて顫《ふる》え出してきた。
「ぴーっ」
 それに応じて
「ほーう」
 と、ふくろうの鳴声がした。低く、ぴっと鳴り、又、ほーっと応じた。茶店へ、押入れられた商人が
「先生」
「寒い」
 暗い中で、大作は、手早く、どんつく布子をきて、髪を束ねた。そして、薬をのんで
「大丈夫か」
 と、いった。
「人数は出しおりますが、恐ろしさが、先で、一言名を名乗ったら、逃出しましょう」
「百姓共は、何んと、申しておる」
「喜んでおります」
「ならよい。村へ逃げて入れば、どこかへ匿《かく》してくれよう」
「食事を」
「歩きながら」
 大作は、立上った。
「よく――何と申してよろしいか、人間業では御座りませぬな」
「いいや、人間業じゃ。死を決して行えば、鬼神も避けるし鬼神も討てる。遠くから手を束ねて討とうなどと考えたから、大砲は仕損じたが、越中風情短刀一本で事が足りる」
「首は」
「首か――斬ろうとは存じたが、わしに救いを求めているらしい眼をみると、気の毒でのう」
「首があっては、家断絶にはなりますまい。急死の届けで、済みましょう」
「首が無《の》うても、当節の役人は、袖の下で、何とでも成る。殺しておけば、津軽も、命には代えられんと思うから、檜山を返すであろう」
「然し」
「戻さん節は、また、殺す」
 大作と、関良輔とは、堤の上から、田圃の畔《あぜ》へ降りて、紙燭をたよりに、村の方へ歩いて行った。

    十二

 いつまでも、渡し舟が出ないで、夕方近くになったから、人々は、そこから先の旅をあきらめて、近い村の百姓家で、泊ることにしていた。
 噂は、大作のことで、一杯であった。誰も、彼も、大作を、日本中で生れた、どの豪傑よりも強いと、称《ほ》めた。
「何しろ、船の中へ、一人で斬込んで、川の中へ潜ってしもうたんだから――」
「大作って、いい男だってのう、色の白い、齢《とし》は――三十七八、背の高い――」
 女狩が
「齢は三十じゃ。余りよい男では無い」
「おやっ、御存じですかい」
 と、いった時、女狩は、側へおいてある刀へ手をかけて、じっと、往来をみた。広い土間に集っている人々は、煙草と、出がらしの茶とを楽しみながら、大声で、談笑していて、一人の侍についても、誰も、注意していなかった。
 往来を行きすぎかけた四人の人が、人々のどよめき、笑い声に振向くと、その中の一人が、走って入ってきて
「吉」
 と、叫んだ。
「おいの」
 二人が、何か囁いていた。女狩は、刀をもって、そうと、土間へ降りた。
(大作にちがいない)
 女狩が、出ようとすると
「これ、お武家、何処へ、行きなさる」
 女狩が、振向いて
「ちと、外へ」
 その男は、首を振って
「いいや」
「何故」
 大作は、向う側の軒下に立っていたが、誰かが、声をかけたらしく、その方を見て、すぐ、行きすぎてしまった。女狩が外へ出ようとした。
「これ、駄目だ――おーい、吉」
 男は、女狩の肩へ手を当てて
「強《た》って行かしゃるなら、承知しねえ。赤湯から、大作様の跡をつけてきてるというのは、お前様かの、それが、本当なら、ただではおかんぞ」
 上り口の人々が、一斉に
「そうだとも」
 と、叫んだ。女狩は、少し蒼くなって
「違う。それは、違う。人違いじゃ。わしは、何も――」
「じゃ、早く、離れて行って、休まっしゃれ。おい、お春や、案内して上げな」
 女狩は
(うかうかしていると、危いぞ)
 と、思って、人々の間を、足早に、奥の方へ入って行った。

    十三

 女狩右源太は、ぼこぼこ土埃《つちぼこり》の立つ街道を、俯きながらゆるゆると歩いていた。足は、南部の方へ向いていたが心はそれと、一緒ではなかった。
(一体、俺は、何うしたならいいんだろう。このまま、何処まで、歩きつづけるのか? 歩いたならいいのか? 相馬大作は、この近くにいる。そして、俺と前後して、矢張り、この街道を歩いているかも知れぬ。俺が、馬で追っかけたなら、半日で追っつけるかもしれぬし、俺が、ここで待っていたなら、半日の内に、目の前へ通りかかるかもしれぬ――しかし――だ)
 右源太は、そう思うと、昨日の宿での、大作の人気に、肌を寒くした。
(大作を召捕りに、江戸から出向いたものだと、一人に話したら、何うだろう。あの百姓共の殺気の立ち方は?――俺は、袋叩《ふくろだた》きに逢って、簀巻《すま》きにされるかと思った。それに、又、あの大胆な大作の振舞は――津軽公を殺して、姿を変えてのこのこと、村の真中へ出てくるとは――いくら、村人が同
前へ 次へ
全18ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング