てきた。口々に何かいいつつ、眼を前方へ、じっとすえて、一生懸命に走って行った。
「何んぞえな」
 と、呟いて、婆が、表へ出た、そして、右を見て
「おやおや、槍の穂が光ってるぞな。貴下《あなた》、出て見なさらんか? こりゃ、えらいことじゃぞ。貴下」
 吉右衛門は、立上って、表へ出た。人はどんどん走っていた。右手を見ると、人垣が、重合っていて、その頭の上、肩の上に、引揚げて行く人々の頭、槍が動いていた。
(随分、残っている。三十人もいるかな――うまく討取ったらしいが――もう、俺には関係のないことだ)
 吉右衛門は
「婆さん、もう一本」
 と、いって、内へ入ってしまった。

    五

 神奈川まできた時、冬の陽は、薄暗くなっていた。それに雪解けの道を、戸塚までのすのは、骨であった。吉右衛門は、松屋へ泊った。
 柱に、二本の燈芯《とうしん》の油皿の灯があるっきりで、湯気と、暗さとが一緒になっていた。狭い、汚い、風呂場であった。吉右衛門が入って行って
「はい、御免よ」
 といったが、誰も答えないで
「えらいことを、やるもんだのう、忠義の士だよ」
 と、一人が大声を出していた。
「何んしろ吉良
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