かしちがうの」
「何を――手前なんぞ、安夜鷹ばかり買やがって、討入と聞いたら、腰の抜ける方だろう」
「何うだ」
「ちげえねえ。所で、その寺坂め、泉岳寺の人数の中にゃ、いないんだってのう」
「そこが、遠慮――何んとかってんだ。国許へ知らせの役に、行ったんだろうって、邸の御用人が仰しゃってたが、そうだろうよ。下郎は士じゃねえから、お上でも大目に見らあな。それに、侍が一人いなくなったといや、命を惜しんでと噂されるだろうし、誰も国許へなど行く人は無いだろう。何んしろ、えらい人ばかりだからのう、そこで、寺坂、頼むってなことになって――お前、生残って寺坂で御座い、品川へでも行きゃあ、女にもてるぜ」
「ところが、そんな奴に限って、余り男振りはよくねえにきまってらあ」
「手前の面あ、何んだ。よく、鏡を見て、熱を出さねえのう」
「お前なあまた、化物がびっくりしたって面だ。河岸のお玉がぬかしてたぞ。甚内の面を見ると、ぶるぶるとするって」
「へん、ぶるぶると。嬉しがるんだ。このとんちき」
「一生、とんちきかなあ。俺でも、お前、主人が殺されりゃあ、討入に行くぜ」
「夜鷹の所へか」
「本当に、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]と思や、殺してみな。人間、男と生れたからにゃ、末代まで名を残してえや、瓦版になって、鈴木金作、本所の仇討、さあ上下二冊揃って十文、女が喜んで、妾も殺されたいよう――」
「よしやがれ、それで、敵が討てるけえ」
「これが、敵を欺く計画だ」
「同じ下郎でも大ちげえだ。なあ、海老床」
床屋の主人が、髭を剃りながら
「俺ら一生、人の頭をいじって、お飯《まんま》を頂戴しなくっちゃならんし、人間さまざまだ。寺坂なんて人あ、百年に一人だ、羨むにゃあ当らねえ」
「そうだそうだ、下郎は下郎らしく、身分相応にしてりゃいいんだ」
「お玉を、嬶《かかあ》にしようなんて、諦めろよ」
吉右衛門は
(俺が、門前から、消えてしまったことを、誰か、喋《しゃべ》るかしら?――喋るだろうな――いいや、もしかしたなら、喋らんかもしれん。太夫は喋るまい。第一に俺は下郎だ。士分の奴でさえ、間際に、逃出した者が、四五人もいるんだ。何が卑怯なもんか。喋らないとすれば――一思案だ――国へ、討入の顛末《てんまつ》を知らせるため、一人抜けて出た? 成る程うまい口実だ――もし、皆が助命されたとしたなら? 何うせ、役に立たんから、討入を見届けて、国許へ知らせに参りました、と、こういってもいいし、もし、皆が切腹か、打首にでも成ったなら、しめたものだ。誰が、何をいおうと、俺の口先一つで何んとでもなる。ちゃんと、名の入っている書付が、お上の手にあるんだからな――助命か、切腹か。それを見届けてから国へ走るか? 先に走るか?)
寺坂は、自分を、同志の中へ加えたくなってきた。
(四十六人、皆無事だ。そうと知ったなら、討入っておくのだった。いいや、討入っていたなら、一緒に、切腹かもしれん――誰も、あの時、俺の逃げるのを見てはいなかったんだ。口実は、何んとでもつく――よし、俺は、仲間へ入ってやろう。入れることにしてやろう。そうでもしなけりゃ、埋合せがつかん。人を、虫けらみたいにしやがって、その虫けらが、一番いい籤《くじ》を引きそうだ)
吉右衛門は、明るい心になって、微笑していた。
七
「まあ、吉右衛門――何うしたえ、上るがよい、さ」
と、玄関へ、出てきた、大石の妻が、嬉しそうにいった。
「未だ、お知らせは?」
「何の?」
「首尾よく、吉良を、お討取りになりまして御座ります、これが、その――」
「ええ? 吉良上野を――」
吉右衛門は、瓦版を、三通取出して
「所々、字がまちがっておりますが、太夫様、以下四十七人、一人残らず無事で――」
妻は、薄く涙をためて、蒼白《あおざ》めた顔になっていた。吉右衛門は
(俺の逃げたことがばれても、一番先に、こうして知らせておけば、罪亡ぼしになる)
と、思った。
「お前も、この中へ入っていなさるのう」
「いいえ、手前は、ほんのお供で――」
「詳しい話を聞きましょう、さ、上って――これ、すすぎを早う」
「いいえ、これから、華岳寺へ参りまして、また江戸へ」
「江戸へ?」
「何う処置がきまりますか、皆様の御先途を見届けたいと、存じまして」
「それにしても、一寸上って、そして、主税は、働きましたかえ」
「ええ」
吉右衛門は、頷いて
「何んしろ、皆様御無事で、こんな目出度いことは御座りませぬ。江戸は、もうこの噂で持切りで、日本一の忠義の士だと、奥様、追々、ここへも知れて参りましょう。随分、御苦労を為さいましたが――」
吉右衛門は、そういいながら
(この人も、下郎も、丁度同じだ。どっちも、人間扱いにされずに――そして、されなかったから、一番い
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