い籤を引くことになるんだ。妙な廻り合せになるものだな、人間っていう奴は――)
と、思っていた。いつの間にか、妻は、手を突いて、顔を伏せて、袖で涙をぬぐっていた。それを見ていると、吉右衛門は、何故か、自分も、悲しくなってきた。
八
「吉右衛門、切腹と、きまった」
と、いって、方丈が、入ってきた。
「はい」
「今、知らせが入ったからと、使がきた。お経でも、上げよう」
方丈が、そういっていると、村の庄屋の声で
「これを一つ吉右衛門さんに」
と、庫裡で、いっているのが聞えた。
「切腹に、な」
吉右衛門は首垂《うなだ》れてしまった。
「吉右衛門、短慮を起すでないぞ。この上は諸士の後生を、よく弔うのが、何よりの務じゃ。追腹《おいばら》切ろうより、何をしようより、弔って上げなさい。他人の百遍の念仏より、お前の一度の念仏の方がよい功徳になる」
吉右衛門は心の中で
(これで、安心した)
と、すっかり、落ちつくと共に
(何んだか、済まんような)
とも、感じた。
(俺のことは喋っていないだろう。喋ったって、対手は死んだのだし、俺は生きているんだ、他の奴が、何をいったって、太夫が、人に話さずに、俺にだけ話をして、国許の女房へ知らせてくれと、いっておられたから、といえば、それでいいんだ――だが、切腹ときまれば、俺の名も連ねてある以上、俺へのお咎めは――)
そう思うと、不安になってきた。
「さあ、吉右衛門、同道しよう」
「手前――」
「何か、吉右衛門、短気なことをしたなら」
「いいえ、これから、江戸へ参って、後始末をすることが御座ります。太夫と二人で、話をしておきましたことで。只今から、すぐ出立して――」
「そんな――それは余り――」
「いえ」
吉右衛門は、立上った。
「それでは止めもせんが――行ったり、来たり遠い所を」
「すぐ戻って参ります」
「頼む、この村の名誉だでのう」
吉右衛門は、小さい行李から脚絆を出して当てながら
(これで、咎めさえ無いときまったなら、俺のものだ。村の奴らあ、家まで建ててやるといってくれるし、忠義無類の下郎には成るし――そうだ。士分では無いし、討入には、ついて行ったが、門も入らないのだから、罪にはなるまい。徒党を組んだ罪――そうだ、そいつがある。とにかく、俺を召捕るか、捕らぬか、噂を聞いて――金はあるし――旅へ出て噂を聞いた上での、分別と――)
吉右衛門は、支度をして、立上った。
「何処へ、今時分から」
と、村の人が、声をかけた。
「江戸へ行って参ります」
吉右衛門は、丁寧に答えて、お叩頭《じぎ》をした。
「まあ」
村の人々は、それ以上に、物をいわなかった。
(この村の人を丸めるのは訳は無いが、江戸の役人は、俺の逃げたのを聞いているだろう。逃げたから? 罪にはならんか? 逃げたことが奉行所から、江戸中へ洩れているか?――今度、江戸へ行っての噂が、俺の運命をきめるんだ――余り称《ほ》められすぎているから、逃げたことが洩れた時、その逆がきたなら?――いいや、俺は生きている。物が書ける。何んなことをいっておいた所で、何もかも知っているんだから、俺から、何んとでも、弁解することが出来る。心配することはない。士分が、切腹だから、俺は切腹せんでいい。切腹でない?――そうだ、江戸お構い――その辺の所だ。そうだ)
吉右衛門は、一切が、明らかになったように思えた。微笑しながら、早足に、江戸の方角へ歩み出した。
(義士、寺坂吉右衛門――俺を、散々下郎扱いにしたが、そいつらが、四十六人で、俺を一番幸福な人間にしてくれたんだ。だから、義士だ。あはははは。そうだ。俺にとってこそ、本当の義士だ)
吉右衛門は、声を立てて笑った。
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この一篇は、作者の空想では無い。寺坂吉右衛門が、討入当夜、逃亡したということは、明らかな事実であるが、俗説として四十七人の中へ加えられているのである。簡単に、その証拠を、拠《あ》げるが、徳富蘇峰氏の「近世日本国民史」元禄時代中篇、三百十一頁に「寺坂の使命と称すべきものは一も是れない。さらばその仔細といふは到底不可解だ。併し、強ひてその解釈を求むれば、彼の仔細は、毛利小平太の仔細と同一だ、即ち臆病風に襲はれて、一命が惜しき許《ばか》りに逃亡したといふことだ」
その外、いろいろの信ずべき書に出ているが、詳しく書く必要は、ないとおもう。
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底本:「直木三十五作品集」文藝春秋
1989(平成元)年2月15日第1刷発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:鈴木厚司
2006年10月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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