時に、もう小説を書いて、売出していたのが、谷崎精二、広津和郎、舟木重信氏らで、国枝史郎が「レモンの花の咲く丘へ」とか「胡弓の弦の咽び泣き」とかという題の作を出したのもその頃である。
 同級生の中では、同じ姓が、競争させるのであろう。細田民樹と、源吉とが「早稲田文学」へ創作を発表した。卒業の前から、保高徳蔵は「読売新聞」に新設された婦人欄の記者として、試験をパスして、就職するし、鷲尾浩が、レートの広告部へ入って、月給四十円。
「うまい事しやがったな」
 と、吾々は、その月給の高を羨んだ。田中純に、宮島新三郎などは、相馬御風氏から仕事をもらっているらしいし、西条八十は、株式相場で生活していると聞くし、それぞれ生活の心配が、何うにかなくなって行く内に、いつまでも職の無いのが、青野季吉と、私とである。二人とも、女房がある。私は、そんなに喧嘩をしないが、青野は、よく夫婦喧嘩をして
「ま、ま、又やってきた」
 と、どもりながら、半日位遊んで行った。在学中、私は早稲田美術研究会の幹事をしていたが、その縁で紀淑雄先生から、日本の美術に関した本を全部書上げてくれないか、出版部から発行するから、という話が
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