あった。私は、すぐ金にならぬが、何もする事が無いし、仕上げたなら金になるだろうと、父に
「こういう仕事があるから、それの終るまで、毎月今まで通りに送金してもらいたい。就職口は、そう急にないし、大阪へ帰ってはいけないから、是非たのむ」
 と、云ってやった。期間は三ヶ月と切って、それ以上はいらぬ、とつけ加えた。坂崎|坦《しずか》氏、森口多里氏など、この研究会の幹事であったが――それから、三ヶ月、毎日、上野の図書館へ通った。今何うか知らぬが、いつも満員つづきで、待たされるのに、いらいらしながら、古来からの東洋美術に関する書籍をことごとく調べて、書上げた。所が書上げると同時に
「出版部の都合で中止になった」
 と、云われてしまった。私は、大してこういう事に憤慨したり、怨んだりする性質ではないが、失望はした。そして、こんな事は、一切女房に打明けない性でもあるから、仕方が無いと、一人であきらめて、又、青野と夫婦喧嘩の話をして日を送っていた。

    三十四

 その内に、田中純が、一つ仕事をもってきてくれた。それは、当時「アカギ叢書」という十銭で、何んな事でもその梗概だけはわかるという本が出てい
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