濘の道」というこの事をかいたという小説が「早稲田文学」に発表されたが、与謝野晶子が
「こんな事、本当にあるんでしょうか」
 と、その四角関係に、呆れた事があった。自然主義末期の影響で、こうした生活を、深刻とか、何んとか考えていたのであろう。

    二十七

 貧乏人には、貧乏人特有の痩我慢みたいなものがある。人からあいつ貧乏人だと云われたくない、というような、例えば、一円の値の物をやると、矢張り一円の品を返してくると云ったような――一種のひがみである。
 私の在学中、私のクラスメートは、恐らく、私の貧乏を知らなかったであろう。それは、その後五六年もして私が原稿をかき出して
「おれは、実は貧乏だ」
 と、云っても、信用しないばかりか
「直木の奴、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]吐いてやがる」
 と云ったりした人のあるので、明らかであるが、これは、私の家が、古着屋であると云う事を知らない為であったのだろう。家の商売が、商売だし、父が
(せめて、着物位は人並にしてやらんと)
 と、云ってくれると、私も若い燕であるし、相当にいい着物を着ていた。
 恐らく、クラスの中で、私
前へ 次へ
全90ページ中66ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング