。この私のクラスは、谷崎、広津、三上、宇野などの二年下で、里芋に拡声器をつけたような木村|毅《き》。笑画の小間物屋番頭忠八みたいな宮島新三郎、その外、田中純、西条八十、村山至大、青野季吉、保高徳蔵、細田源吉、細田民樹。
 このクラスだけで、評論、プロ文学、詩、童話、純文学、大衆文学と、田舎のデパート位に揃っている。
 しかし、これは、ずっと後の話で、在学中に、一番花々しかったものは、立石美和の一派で、角帯に、時として前掛けをしめたりしていたが、細田源吉が、苑雪次郎と称して、このグループの雑誌「美の廃墟」に小説をかいていた。沢田正二郎が、わざわざ頸筋に、白粉を残して、得意そうに校内を歩いていたのもこの頃で、頽廃的なものが、主流となっていた。宮戸座に、源之助、工左衛門などを讃美しに行ったのも、当時の流行の一つであった。
「いやな奴だな」
「うん」
 青野と、私とは、時々こう云いはっていたが、彼等には、江戸っ子が多く、喋るのが巧みで、どもりの青野や、無口の私は、羨んでいるより外に仕方がなかった。
 二人の細田が、娘と、その母とに、二人とも関係したとか、せぬとかいう噂が立ったりした。民樹の「泥
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