面倒で――あんた、いつ帰る」
と、いう手紙がきた。そして、この手紙の終りに、何んと「旦那様」と、書いてあった。
うれしいような、馬鹿にされたような――こんな言葉は車屋と、乞食の使う言葉で、使われる奴は、五十歳以上というように感じていた私は、その手紙を披《ひろ》げて、にやにや笑いながら
(矢張り、征服したのかな)
とも、感じた。暑中休暇がすぐに来た。大阪へ帰ると
「家から出してくれぬ」
と、ノートの端に走り書をして、使の者に届けさせてきた。
「奥へ入れたっ切りで、兄が見張っている」
二十一の男を、大阪から、いい齢をして、追っかけて行ったのだから、兄玄竜の怒るのも尤もである。だが、私の怒ったのも、又尤もであった。
雨もよいの空、私は、怒りのかたまり見《み》たいになって、須磨子の家の門を押した。ぎぎいと、重い重りが鳴り、鎖ががらがらと響いた中へ入ると、暗い。のぞくと、誰も居ない。
「お須磨さん」
と庫裡へ入って、声をかけると、市次郎の母が出てきて
「何んです」
「お須磨さんは?」
と、聞いた時、兄玄竜が
「来てもろたらいかん」
と、奥から出てきて、廊下へ立ったままで云った。
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