「何」
 叫ぶが早いか、大衆作家になる私だ。えいっ、廊下へ飛上った天狗飛切りの術。
「待ってたわいな」
 と、奥から出てくる須磨、それを止めようとする姉、うろうろしている竺という爺さんに、女中。
「行こう」
 と、須磨へ云った途端、玄竜が
「人の家へ何や」
 と、怒鳴ったから、それ、大衆作家の青年時代
「何」
 左手で、ネクタイを掴んで、ぐっと、壁へ押しつけた。
 玄竜、顔をしかめて
「巡査呼んでこい」
 今でも、おかしくて、笑うが、私も逆上していた。
「何んだ」
 二三度、力任せに、壁へ押しつけて、右手は、まさかの時の用意。大衆作家だ、その時分から心構えがある。
「何しなはる」
 と、叫ぶ姉。
「宗ちゃん、そんな事したら」
 と、止めにくる須磨子。
「出ろ」
 旦那様だ。
「荷物が――」
「荷物なんか何んだ。こんな家にいたいのか」
 私が降りると共に、須磨も降りた。出ようとするとばらばら――雨だ。ちゃんと、ことごとく、大衆文学の段どりに出来ている。竺さんが
「雨や」
 と、云って、蝙蝠《こうもり》傘を出してくれた。二人は、行く所がないので、友人の南惣平の所へ泊った。

    二十
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