ったなら、私は受験したであろうが、初日が、数学なので
(こらいかん)
 と、度胸をきめて、予定通り、試験を受けない事にした。河田屋敷という所に、友人と下宿していたが、ボートから見上げる城がいい景色なので、朝から正午まで、川にいて戻ってきた。
(おれは、恩給取りにはなれん。不孝者だが仕方がない)
 と思って、知らん顔をして帰ってきた。
「何うやった」
「駄目だろう」
「ふむ――何が悪い」
「高等学校は、中々一ぺんで入られへん。それより私立へ行った方がいい。勉強さえしたら、私立でも、官立でも一緒や」
「私立はあかん、岡山が、いかなんだら、来年もう一遍受けてみ」
 薄病院の院長は
「植村、速記者になれ」
 と、云ってくれた。院長を、崇拝している父は、いろいろの所で、速記者というものを聞いてきて
「あら金が儲かる。衆議院で演説するやろがな。それをあとから一寸取消してくれ、と云いに行く時、金を包んでくるのやが、これが大きい。ええ商売や、人の気のつかん商売や」
 恩給が、忽ち、速記者になったが、私は対手にしなかった。

    十九

 当時、末吉橋東詰松屋町に、豊竹呂昇の持小屋「松の亭」というの
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