儲け金儲け、とだけ念じている人達の集っている町であるから、こんな事が平気で書けるが、これだけ、印刷文明が普及されていて、猶かくの如き、私の出生町内である。二十余年の昔
「文科へ行く」
とでも、云おうものなら
「文科て、文士か」
と、それこそ、何う叱られるか、わからない。私は、早大文科と決心していたが、一言も、この事は喋らなかった。だが、卒業すると、何うしても、次の学校へ行かなくてはならぬし、父の決心が悲壮であるから
「岡山へ行って法科を受ける」
と、云っていた。
「弁護士はあかん、官吏がええ、恩給がつく」
と、貧乏で、六十歳になっても、古着を背負って、電車の無い頃の大阪の隅から、郊外の遠くへまでも歩かなくてはならぬ父にとって、恩給という事が、何んなに有難く見えたか!
「しっかりやれ、人間も、恩給もらうようになったら楽や」
国を出奔してきてから、最高収入六七十円の父は、四十年間を、働きづめに働いてきて、猶働かなくては暮らせないのである。
だから、恩給恩給、と云うが、何んと私は、岡山へ行って、試験の日、半日、旭川で、ボートを漕《こ》いでいたのである。
最初の日に、数学が出なか
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