も真っ暗である。
(おや)
と、おもった瞬間、現れたのが、井戸を留守にしていた幽霊である。がその刹那に、猛烈に掴みかかったが、それより三十年、幽霊の夢は一度も見なくなってしまった。如何に、この時、しかく、恐ろしかったかは、今でもその夜の夢を、はっきりと思出す事ができる。
十四
中学は、市岡中学である。出来てから、四年目で、校長は、坪井仙太郎と云った。市内には、北野と、天王寺と、市岡の三つである。新らしいし、遠いから、競争者も少いだろうと、ここへ願書を出した。
市岡という所は、西瓜の名産地で、今こそ町になっているが、田圃の真中に、学校が一軒ある切り、前は、尻無川まで見えるし、右は、築港まで一目である。
水道が引けたり、電燈がついたりしたのも、その頃であるから、市内電車など無論ない。築港、松島間に一線あるきり――私の家は、大阪の東の端近く、学校は市内を離れて、西の方までが、田圃の中、二里以上三里近くもあろうか。入学した成績は、一級四十人中、尻から十六番目。父に叱られて、次の学期に、上から十四番目になったが、それが、私の最高レコードで、卒業の時には尻から八番目であった。
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