十三歳の時に、腸チブスになって、それ以来、すっかり、健康体になった私は、とうとう中学五年間、一日の休みもなしに、この遠い道を歩いて通った。二年生時分から巡航船という、河々を通る石油発動機の船ができ、車夫が、この船を襲撃して大騒動を起したりしたが、速力がのろいし、迂廻《うかい》するので余り乗らなかった。乗る金もなかった。
 発育盛りなので、洋服が、すぐ小さくなる。しかし、それに応じて買えぬので、いつも、寸づまりの、手首のうんと出た洋服をきて、ぼろぼろの靴に、破れた帽子をかむっていた。
 当時、何ういうのか、美少年を愛する事が、中学で流行していたので、破帽破靴の風は、豪健と見るや、わざわざ破る者さえ出来たので、私は、ますます平気になって可成り、先生から注意された事もあった。
 遠いから、弁当をもって行くが、アルミニウームは、もう使っていた。電燈、水道と同時代に、こいつも一般化されたらしい。この弁当の菜が、油揚げ、湯葉と、きまっていた。湯葉も、薄い普通のではない。湯葉を竹にかける時、竹につく滓《かす》の厚く、固くなって、竹のかたのついた奴である。私が、骨屋町へ無くなると買いに行った。
「又
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