のは、遥かに後であった。
 この貸本屋一件が、転じて、図書館行になるのであるが、私が尋常小学を出て、高等小学へ入ると共に、成績が、中位になってしまったのは、この貸本屋の御蔭である。
 尋常小学での、私の記憶は、この位しかない。幼稚園で、初めて習った唱歌が
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霞か、雲か、はた雪か
とばかり匂うこの花盛り
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 であるとか、日清戦争の直後とて
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煙も見えず、雲もなく
風も起らず、浪立たず
[#ここで字下げ終わり]
 のような軍歌が、盛んだった記憶があるが、それは、私一人だけの話でないから、省いておく。

    十一

 高等小学校は、空堀筋、骨屋町角の、育英第一高等小学校というのである。何んしろ、制服制帽を着るのだから、うれしくて写真をとって、大和の親類へ送った。こういう写真があるとなつかしくていいが、家ぐるみ差押えられて、素っ裸にされた時、その中へ入って、何っかへ行ってしまった。雑誌から、時々、子供時分のをと云ってくるが、私の写真は、それ故、最近五年以内のものの外一枚もない。これが、私が写真をとった最初である。その次は、
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