しい。神田という名も、辰やんという名も、記憶の中にある。その東隣りが日比野という呉服店で、こっちは、古手屋で、商売敵であるから、私も、決して、遊びに行かなかった。
 その隣りが、堺の名産、大寺餅の、名だけを使用している安餅屋であった。これは私が、九つか、十位の時に、開店したらしく、開店の日の、大安売りにだけ、この餅を買ってもらった。
 その隣りが、前にかいた貸本屋である。神田伯竜口演の「太閤記」七冊つづきを、一日の間に読んで、見料二銭。父が叱るので、母に頼んで、この見料をもらうのであるが、私が子供の上に、貧乏であるし、近所でもあるし、とにかく、一寸、立っている間に、半分位は読むので、本屋の方で、私の立読みを黙許してしまってくれた。
 それから弟を、子守してやると云って背負って出ては、ここへ入込んだ。その内に、講談本のみでなく、渋柿園、涙香、弦斎、というようなのが入ってきた。これは少しむずかしすぎて、読むのに骨が折れた。そして、読書力の低い、この町の人々は、講談の本がよいらしく、この三人の外に、柳葉、春葉が入ってきたまま、通俗小説は、来なくなってしまった。「金色夜叉」や「不如帰」を読んだ
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