十二歳の時で、今だに、名まで憶えているのだから、相当なものである。
 この薬屋の娘さんは「おんちゃん」と云った。西村房という名であるが、何故「おんちゃん」と呼び、呼ばれていたか、今でもわからない。私の父は「鬼ちゃん」と呼んでいた。いくど、母に
「そんな名、おますかいな」
 と、叱られても「鬼ちゃん」と云っていた。父は、手紙の冒頭へ「真平御免」とかいて、これが、立派な挨拶だと信じているのだから「おんちゃん」を「鬼」にする位は、何んでもない事である。
 この「おんちゃん」の所へ、遊びに行って、初めて、毛糸というものを見て、びっくりした事がある。こんな綺麗なものが、世の中にあろうかとか、こんなものを「おんちゃん」みたいな子供がもって、とか、そういう驚きであった。家は、木薬《きぐすり》店(生薬が正しいか)で、西洋流の売薬と、漢薬との混沌期であったらしく、店先に、蜜柑の皮が、一杯干してあったのを憶えている。

    十

 私の家の東隣りが、小間物屋であった。ここの職人であったか、ここへ来る人の内であったか、その当時から、将棋の強い人がいるという事を聞いていたが、今思うと後の七段神田辰之助氏ら
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