も、私の間食になった。後になると、私自身が、それを造って食べていた。
家へ戻ると、中々、出してくれないし、玩具も、何も無いから、私は、チョークを買ってもらって、それで、押入の板戸へ、絵や、字を書き出した。小さい家で、大阪流に、中の間は、薄暗いが、その中で、夜になるまで、書いては消し、消しては書きして、板戸の下から、三尺位の上下は、白墨の白さが、しみ込んでしまっていた。
それから、間なしに、店と、中の間の間に、一尺四方位の硝子《ガラス》が、一間余り入ったので、嬉しくて堪らず、そこを又手習台にして、主として、絵を描いた。
時々、近所からの貰い物などがあるが、そういう物は、自分の生活とは、ちがった物のような気がして、例えば、菓子を食べても、それが無くなると、欲しいという感じは、絶対にしなかった。食べられないのが、本当で、食べるのは間違っているように、感じていた。
生れた時から、こうして育つと、貧乏を少しも、貧乏とは感じないものである。これが、誰でもの生活だ、というように――子供であるから、簡単に――たまたま友人の、広い家へ行っても、何の感じもなく、羨望も何も、起らなかった。
内安堂
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