町の腕白共を対手に、竹竿をもち出して、大喧嘩をしたのも、その時分らしい。私は、中学でもう一度、大乱闘をやっているが、それは後の事にする。

    五

 小学では、秀才で、大抵一位か、二位であった。今、何うして、こんなに字が拙くなったのか知らぬが、御手本を見て、真似する字は、私が第一で、丁度、三年生の時、書の上手なのを、雨天運動場へ掲げるようになったが、真先に、私のが出た。
 父は、寺子屋しか知らぬから、字が上手だと、何より喜んで、この時も、すぐ、薄氏の所へ自慢に行ったらしい。
 所がである、同じ三年の時、菅原道真の事が、読本に出ていた。その中に「遷《うつ》され」という字があったが、先生から、聞かれても、誰も答えられない。
「植村」
 と、最後の指名が、いつもの如く私へ来た。
「流されです」
 と、答えると
「意味は同じだが、うつされと読む」
 と、先生が云った。それまで、級中第一の自負心をもっていた私は、この間違いが、叩きのめされたように堪えた。それ以来、いかなる場合にも、知っている、という合図の為に揚げる手を、決して揚げなくなってしまった。
 幼稚園時代の極端な、はにかみ屋が、又
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