だに、まざまざと憶えている。その当時の私は、二人に対して、得意であったが、いつも、この三人で、首席を争っていた事を思出すと、少し、感傷的になってくる。
 この「のばく」――私の家のうしろが、丁度「のばく」と、崖になっている高見であるが、この下に、今大阪の落語界で、大立者と称されている九里丸が住んでいた。
 九里丸の話によると、彼の四軒長屋は、出世長屋で、四軒とも、相当の人物になったと、その名まで挙げていたが、私は、関係がないので、九里丸の外に知らない。
 この人の父が、大阪中を風靡《ふうび》した、東西屋(チンドン屋)の元祖九里丸で、大阪奇人伝中の一人である。夜になると、囃子《はやし》の稽古をするので、私達子供は
「のばくの狸が、又囃しとうる」
 と、云っていた。この長屋と、一度、上下で、石合戦をした事があった。私は、もう尋常二三年位で、誰にも劣らぬ乱暴者になっていたので、石を投げていたが、その一つ――誰のかが、九里丸長屋の赤ん坊に当ったため、親父が出てきたので、一目散に逃げ出し、家の中へかくれていた事があった。
 一つ、北の通りが、十二軒町と云って、役人の邸跡であるが、そのつづきの神崎
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