るだろうと思っていた。そしてそれに対して武蔵の帯びていた太刀は伯耆安綱《ほうきやすつな》で三尺八分というものであった。この差一寸七分、これが勝負を決する基になる。小次郎の技倆と腕と殆《ほとん》ど伯仲とすれば、残る所はこの得物の長短のみであると武蔵は思った。
削り上げた木刀が、四尺一寸八分、今その雛形が松井男爵家に伝わっているが実に細かい注意をしたものである。一刻余りして二度目の使がくる。
「程無く参る」
と云って絹の袷を着て、腰に手拭をはさみ、その上に綿入の羽織をきて船頭一人を連れ小舟に棹《さおさ》して出ていった。船の中であぐらをかきながら紙を取出して紙撚《こより》を拵えて居たが出来上るとそれを襷として、羽織をすっぽり頭から冠って船中で又寝てしまった。敵の無い感じである。その腹に置いて小次郎は武蔵の対手でない。
舟底が砂へすれると共に、羽織をとって起上り、大刀を舟に残して短刀だけに、揖を削り上げた木刀を携《たずさ》え浅瀬へ降立った。そして、右手に木刀を提げたまま、渚をざぶざぶ渉《わた》りつつ、腰の手拭を取って鉢巻をした。
小次郎は辰の上刻少し前に、美々しく飾られた小舟で検使役人
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