蔵をよく知っている。第一に小次郎を恐れて逃げるなら別に今には限らないし、試合を避けるなら口実として病気、主命といくらでもある。多分下の関へ行ってそこから向島へ渡るつもりだろうと考えたが、とにかく在所《ありか》を探してと二三の家来を出して、下の関の宿屋を求めさせた。すると果して船問屋小林太郎左衛門の家《うち》に居た。主命を告げると武蔵一書をかいて家臣の者に渡す。文に曰く、
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明朝仕合ノ儀ニ付キ私、其許様《そこもとさま》御舟ニテ向島ニ可被遣之由《つかわさるべきのよし》被仰聞《おおせきけられ》、重畳《ちょうじょう》御心遣ノ段|忝奉存候《かたじけなくぞんじたてまつりそろ》、然共《しかれども》今回小次郎ト私トハ敵対ノ者ニテ御座候、然ルニ小次郎ハ忠興様御船ニテ被遣《つかわせられ》私ハ其許様御船ニテ被遣ト御座候処、御主人ヘ被対《むかわせられ》如何ト奉存候、此儀私ニハ御構不被成候《おかまいなされずそろ》テ可然《しかるべく》奉存候、此段御直ニ可申上ト存候ウトモ御承引ナサルマジク候ニ付、態《わざ》ト不申候《もうさずそろ》テ爰元《ここもと》ヘ参居シ、御船ノ儀ハ幾重ニモ御断申候《おことわ
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