娘であった。いや、半兵衛の女房であった。彼女は、家中に対する夫の面目の為に、いつでも、発足できるよう、新らしい旅仕度を調えながら――だが、泣いていた。

    四

「里恵」
 そう云った夫の眼、夫の口調、それから、その正しい坐り方に、里恵は
(今日は?)
 と、そう思っただけで、もう胸の中が、固くなってしまった。
「又五郎殿の、助太刀に出る」
 里恵は、俯《うつむ》いた。
「兼々、家中の噂を存じておろう。然し、わしは、噂によって、噂に押されて、嫌々ながら、助太刀に出るのでは無い。形は、助太刀であるが、心は、荒木又右衛門なる者と一手合《ひとてあわせ》したいからじゃ。お前にだけは、打明けておくが、荒木も、郡山で二百石、わしも二百石。その荒木が、今度存じておろう、将軍家の御前試合に出た。同じ二百石であり乍《なが》ら、将軍家の前へ出られるのと、出られぬのと、どんな違いがあるか? それを天下に示したい。又五郎への助太刀は、士道の表向の意地立てだけだ、わしは気が進まぬし、断る口実は立派にある。ただ、形だけの事で、わしは出たくも無いのに、家中の虫けらに、評判されたからとて出て行く程の小心者でも無
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