もし、諦めてもいた。諦め切れぬ思いを、諦めようとして、夫の周囲に立った噂を聞いた日から、半兵衛と同じように――いいや、半兵衛以上に、心の中で、夫と別れる時の事を考えては、苦しんでいた。
 その別れは、生別であり、死別であった。戸田の家中の使手として、海道にも響いている夫が、又五郎の妹婿であるというだけで、――自分につながる縁というだけで、生死の判らぬ旅+出て――。
 里恵は、又五郎を兄としていたが、好ましい兄だとは、思っていなかった。里恵にとって、兄と夫との比較は、他人と、自分との比較と同じようなものであった。ただ一人の男の子として、父母に可愛がられていた我儘な兄、三人の女姉妹の中の子として、一番誰よりも、うとんぜられていて、早く出て行け、と云わんばかりにして、半兵衛の所へ嫁がされた記憶。
 いろいろの事を想出しても、女姉妹同士には、いくらかの親しみを感じたが、兄の又五郎には、何も感じなかった――というよりも、源太夫を殺して逃げた、刀の鞘を置忘れて逃げたという話を聞いた時には、夫の前で、口も利けなかった。世間の夫なら
「やくざの兄だの」
 と、不機嫌な顔の一つでもする所を、半兵衛は

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