新居にたどり着いたのは、もうかれこれ十二時に近かった。燈光《あかり》もない暗い大和障子《やまとしょうじ》の前に立った時には、涙がホロホロとかれの頬をつたって流れた。
けれどいかようにしても暮らして行かるる世の中である。それからもう四年は経過した。そのせまい行田の家も、住みなれてはさしていぶせくも思わなかった。かれはおりおり行田の今の家と熊谷の家と足利の家とを思ってみることがある。
熊谷の家は今もある。老いた夫婦者が住まっている。よく行った松の湯は新しく普請《ふしん》をして見違えるようにりっぱになった。通りの荒物屋にはやはり愛嬌者《あいきょうもの》のかみさんがすわって客に接している。種物屋《たねものや》の娘は廂髪《ひさしがみ》などに結《ゆ》ってツンとすまして歩いて行く。薬種屋《やくしゅや》の隠居《いんきょ》は相変わらず禿《はげ》頭をふりたてて忰《せがれ》や小僧を叱っている。郵便局の為替《かわせ》受け口には、黒繻子《くろじゅす》とメリンスの腹合《はらあわ》せの帯をしめた女が為替の下渡《さげわた》しを待ちかねて、たたきを下駄でコトコトいわせている。そのそばにおなじみの白犬《しろ》が頭を地につけて眼を閉じて眠っている。郵便集配人がズックの行嚢《こうのう》をかついではいって来る。
小畑は郡役所《ぐんやくしょ》に勤めている官吏の子息《むすこ》、小島は町で有名な大きな呉服屋の子息《むすこ》、桜井は行田の藩士で明治の初年にこの地に地所を買って移って来た金持ちの子息《むすこ》、そのほか造酒屋《ぞうしゅや》、米屋、紙屋、裁判所の判事などの子息《むすこ》たちに同窓の友がいくらもあった。そしてそれがたいていは小学校からのなじみなので、行田の友だちの群れよりもいっそうしたしいところがある。小畑の家は停車場の敷地に隣《とな》っていて、そこからは有名な熊谷堤の花が見える。桜井の家は蓮正寺《れんしょうじ》の近所で、お詣《まい》りの鰐口《わにぐち》の音が終日《しゅうじつ》聞こえる。清三は熊谷に行くと、きっとこの二人を訪問した。どちらの家《うち》でも家の人々とも懇意になって、わがままも言えば気のおけない言葉もつかう。食事時分には黙っていても膳を出してくれるし、夜遅くなれば友だちといっしょに一つ蒲団《ふとん》にくるまって寝た。
「どうした、いやにしょげてるじゃないか」
「どうかしたか」
「まだ老い込むには早いぜ!」
「少しは何か調べたか」
「なんだか顔色が悪いぜ!」
熊谷にくると、こうした活気ある言葉をあっちこっちから浴びせかけられる。いきいきした友だちの顔色には中学校時代の面影がまだ残っていて、硝子窓《がらすまど》の下や運動場や湯呑場《ゆのみじょう》などで話し合った符牒《ふちょう》や言葉がたえず出る。
また次のような話もした。
「Lはどうした」
「まだいる! そうかまだいるか」
「仙骨《せんこつ》は先生に熱中しているが、実におかしくって話にならん」
「先生、このごろ、鬚《ひげ》など生《は》やして、ステッキなどついて歩いているナ」
「杉はすっかり色男になったねえ、君」
かたわらで聞いてはちょっとわからぬような話のしかたで、それでぐんぐん話はわかっていく。
熊谷の町が行田、羽生にくらべてにぎやかでもあり、商業も盛んであると同じように、ここには同窓の友で小学校の教師などになるものはまれであった。角帯をしめて、老舗《しにせ》の若旦那になってしまうもののほかは、多くはほかの高等学校の入学試験の準備に忙しかった。活気は若い人々の上に満ちていた。これに引きくらべて、清三は自分の意気地のないのをつねに感じた。熊谷から行田、行田から羽生、羽生から弥勒《みろく》とだんだん活気がなくなっていくような気がして、帰りはいつもさびしい思いに包まれながらその長い街道を歩いた。
それに人の種類も顔色も語り合う話もみな違った。同じ金儲《かねもう》けの話にしても、弥勒あたりでは田舎者の吝嗇《けち》くさいことを言っている。小学校の校長さんといえば、よほど立身したように思っている。また校長みずからも鼻を高くしてその地位に満足している。清三は熊谷で会う友だちと行田で語る人々と弥勒で顔を合わせる同僚とをくらべてみぬわけにはいかなかった。かれは今の境遇を考えて、理想が現実に触れてしだいに崩《くず》れていく一種のさびしさとわびしさとを痛切に感じた。
ある日曜日の午前に、かれは小畑と桜井とつれだって、中学校に行ってみた。中学校は町のはずれにあった。二階造りの大きな建物で、木馬と金棒と鞦韆《ぶらんこ》とがあった。運動場には小倉《こくら》の詰襟《つめえり》の洋服を着た寄宿舎にいる生徒がところどころにちらほら歩いているばかり、どの教室もしんとしていた。湯呑所《ゆのみじょ》には例のむずかしい顔をした、かれらが「般若《はんにゃ》」という綽名《あだな》を奉《たてまつ》った小使がいた。舎監《しゃかん》のネイ将軍もいた。当直番に当たった数学の教師もいた。二階の階段、長い廊下、教室の黒板、硝子窓から梢だけ見える梧桐《あおぎり》、一つとして追懐《ついかい》の伴わないものはなかった。かれらはその時分のことを語りながらあっちこっちと歩いた。
当直室で一時間ほど話した。同級生のことを聞かれるままその知れる限りを三人は話した。東京に出たものが十人、国に残っているものが十五人、小学校教師になったものが八人、ほかの五人は不明であった。三人は講堂に行ってオルガンを鳴らしたり、運動場に出てボールを投げてみたりした。
別れる前に、三人は町の蕎麦屋《そばや》にはいった。いつもよく行く青柳庵《せいりゅうあん》という家である。奥の一間はこざっぱりした小庭に向かって、楓《もみじ》の若葉は人の顔を青く見せた。ざるに生玉子、銚子《ちょうし》を一本つけさせて、三人はさも楽しそうに飲食した。
「この間、小滝に会ったぜ!」小畑は清三の顔を見て、「先生、このごろなかなか流行《はや》るんだそうだ。土地の者では一番売れるんだろうよ。湯屋の路地を通ると、今、座敷に出るところかなんかで、にこにこしてやって来たッけ」
「林さんは? ッて聞かなかったか?」
かたわらから桜井が笑いながら言った。
清三も笑った。
「Yはどうしたねえ」
清三は続いて聞いた。
「相変わらずご熱心さ」
「もうエンゲージができたのか」
「当人同士はできてるんだろうけれど、家では両方ともむずかしいという話だ」
「おもしろいことになったものだねえ」と清三は考えて、「YはいったいVのラヴァだったんだろう。それがそういうふうになるとは実際運命というものはわからんねえ」
「Vはどうしたえ」と桜井が小畑に聞く。
「先生、足利に行った」
「会社にでも出たのか」
「なんでも機業会社とかなんとかいうところに出るようになったんだそうだ」
三人はお代わりの天ぷら蕎麦《そば》を命じた。
「Art の君はどうした?」
小畑がきいた。
「浦和にいるよ」
「それは知ってるさ。どうしたッて言うのはそういう意味じゃないんだ」
「うむ、そうか――」と清三はうなずいて、「まだ、もとの通りさ」
「加藤も臆病者だからなア」
と小畑も笑った。
一本の酒で、三人の顔は赤くなった。勘定《かんじょう》は蟇口《がまぐち》から銀貨や銅貨をじゃらつかせながら小畑がした。可愛い娘《おんな》の子が釣銭と蕎麦湯と楊枝《ようじ》とを持って来た。
その日の午後四時過ぎには、清三は行田と羽生の間の田舎道を弥勒《みろく》へと歩いていた。野は日に輝いて、向こうの村の若葉は美しくあざやかに光った。けれど心は寂しく暗かった。かれは希望に充《みた》されて通った熊谷街道と、さびしい心を抱いて帰って行く弥勒街道とをくらべてみた。若い元気のいい友だちがうらやましかった。
十四
六月一日、今日|成願寺《じょうがんじ》に移る。こう日記にかれは書いた。荻生《おぎゅう》君が主僧といろいろ打ち合わせをしてくれたので、話は容易にまとまった。無人《ぶにん》で食事の世話まではしてあげることはできないが、家《うち》にあるもので入り用なものはなんでもおつかいなさい。こう言って、主僧は机、火鉢、座蒲団、茶器などを貸してくれた。
本堂の右と左に六畳の間があった。右の室《へや》は日が当たって冬はいいが、夏は暑くってしかたがない。で、左の間を借りることにする。和尚《おしょう》さんは障子の合うのをあっちこっちからはずしてきてはめてくれる。かみさんはバケツを廊下に持ち出して畳を拭いてくれる。机を真中にすえて、持ってきた書箱《ほんばこ》をわきに置いて、角火鉢に茶器を揃《そろ》えると、それでりっぱな心地のよい書斎ができた。荻生君はちょうど郵便局が閑《ひま》なので、同僚にあとを頼んでやってきて、庭に生《は》えた草などをむしった。清三が学校から退《ひ》けて帰って来た時には、もうあたりはきれいになって、主僧と荻生君とは茶器をまんなかに、さも室の明るくなったのを楽しむというふうに笑って話をしていた。
「これはきれいになりましたな、まるで別の室のようになりましたな」
こう言って清三はにこにこした。
「荻生さんが草を取ってくれたんですよ」
主僧が笑いながら言うと、
「荻生君が? それは気の毒でしたねえ」
「いや、草を取って、庭をきれいにするということは趣味があるものですよ」と荻生君は言った。
そこに餅菓子が竹の皮にはいったまま出してあった。これも荻生君のお土産《みやげ》である。清三は、「これはご馳走《ちそう》ですな」と言いながら、一つ、二つ、三つまでつまんで、むしゃむしゃと食った。弁当腹《べんとうばら》で、長い路を歩いて来たので、少なからず飢《うえ》を覚えていたのである。
その日の晩餐《ばんさん》は寺で調理してくれた。里芋と筍《たけのこ》の煮付け、汁には、たけたウドが入れられてあった。主僧は自分の分もここに持って来させて、ビールを二本|奢《おご》って、三人して団欒《だんらん》して食った。文学の話、人生問題の話、近所の話、小学校の話、主僧のお得意の禅の話も出た。庭に近く柱によった主僧の顔が白く夕暮れの空気に見えた。
長い廊下に小僧が急ぎ足でこっちにやってくるのが見えたが、やがてはいって来て、一通の電報を主僧に渡した。
急いで封を切って読み終わった主僧の顔色は変わった。
「大島孤月《おおしまこげつ》が死んだ!」
「孤月さんが――」
二人もおどろきの目をみはった。
大島孤月といえば、文学好きの人はたいてい知っていた。某書肆《ぼうしょし》の女婿《じょせい》で、創作家としてよりも書肆の支配人としての勢力の大きな人であった。昨年の秋|泰西漫遊《たいせいまんゆう》に出かけて、一月ほど前に帰朝した。送別会と歓迎会、その記事はいつも新聞紙上をにぎわした。雑誌にもいろいろなことが書いてあった。ここの主僧がまだ東京にいるころは、ことにこの人の世話になって、原稿を買ってもらったり、その家に置いてもらったりした。
「もう今日は行かれませんな」
「そう、馬車はありませんしな、車じゃたいへんですし……それに汽車に乗っても、あっちへ着いてから困るでしょう」
主僧は考えて、
「明日《あした》にしましょうかな」
「明日でいいなら――明日朝の馬車で久喜《くき》まで行って、奥羽線《おううせん》の二番に乗るほうがいいですな」
「行田から吹上《ふきあげ》のほうが便利じゃないでしょうか」
「いや、久喜のほうが便利です」
と荻生君は言った。
主僧はそれと心を定めたらしく、やがて、「人間というものはいつ死ぬかわかりませんな」と慨嘆《がいたん》して、
「ちょっと病気で病院にはいってるということは聞きましたけれど、死ぬなどとは夢にも思わなかったですよ。先生など幸福ではあるし、得意でもあるし、これからますます自分の懐抱《かいほう》を実行していかれる身なんですから」こう言って、自分の田舎寺に隠れた心の動機を考えて、主僧は黯然《あんぜん》とした。
「世の中は蝸牛角上《かぎゅうかくじょう》の争闘――
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