望《せんぼう》の情と、こうした貧しい生活をしている親の慈愛に対する子の境遇《きょうぐう》とを考えずにはいられなかった。
その土曜日は愉快に過ぎた。母親は自分で出かけて清三の好きな田舎|饅頭《まんじゅう》を買ってきて茶を煎《い》れてくれた。母親の小皺《こじわ》の多いにこにこした顔と息子の青白い弱々しい淋しい笑顔とは久しく長火鉢に相対してすわった。
清三は来週から先方のつごうさえよければ羽生の成願寺《じょうがんじ》に下宿したいという話を持ち出して、若い学問のある方丈《ほうじょう》さんのことや、やさしい荻生君のことなどを話して聞かした。母親はそれまでには夜具や着物を洗濯してやりたい、それに袷《あわせ》を一枚こしらえたいなどと言った。父親の商売の不景気なことも続いて語った。清三のおさないころの富裕《ふゆう》な家庭の話も出た。
夜は菓子を買って郁治の家に行った。雪子がにこにこと笑って迎えた。書斎での話は容易につきようともしなかった。同じことをくり返して語っても、それが同じこととは思えぬほど二人は親しかった。相対して互いに顔を見合わせているということが二人にとってこのうえもない愉快である。「行田文学」の話も出れば山形古城の話も出る。そこに郁治の父親がおりよく昨日帰ってきていたとて出てきて、「林さん、どうです、……学校のほうはうまくいきますか」などと言った。
「あそこの学校は軋轢《あつれき》がなくっていいでしょう。校長は二十七年の卒業生だが、わりあいにあれで話がわかっている男でしてな……村の受けもいいです」
郡視学はこんなことを語って聞かせた。
雪子が茶をさしにきた時、袂《たもと》から絵葉書を出して、「浦和の美穂子《みほこ》さんから今、私のところにこんな手紙が来てよ」と二人に示した。美穂子はかの Art の君である。雪子はまだ兄の心の秘密を知らなかった。
絵葉書は女学世界についていた「初夏」という題で、新緑の陰にハイカラの女が細い流行の小傘《パラソール》をたずさえて立っていた。文句はべつに変わったこともなかった。
――雪子さんお変わりございませんか。ここに参ってからもう二月になりました。寄宿の生活――それはほかからは想像ができないくらいでございます、この春、ごいっしょに楽しく遊んだことなどをおりおり考えることが、ございますよ。ご無沙汰のおわびまでに……美穂子
清三はその葉書を畳の上において、
「今度は貴嬢《あなた》も浦和にいらっしゃるんでしょう?」
「私などだめ」
と雪子は笑った。
その笑顔を清三は帰路《きろ》の闇の中に思い出した。相対していたのはわずかの間であった。その横顔を洋燈《らんぷ》が照らした。つねに似ず美しいと思った。ツンとすましたようなところがあるのをいつも不愉快に思っていたが、今宵はそれがかえって品があるかのように見えた。美穂子の顔が続いて眼前を通る。雪子の顔と美穂子の顔が重なって一つになる……。田の畦《あぜ》に蛙の声がして、町の病院の二階の灯《あかり》が窓からもれた。
* * * * *
町の裏に小さな寺があった。門をはいると、庫裡《くり》の藁葺《わらぶき》屋根と風雨《ふうう》にさらされた黒い窓障子が見えた。本堂の如来《にょらい》様は黒く光って、木魚《もくぎょ》が赤いメリンスの敷き物の上にのせてある。その裏にある墓地には、竹藪《たけやぶ》が隣の地面を仕切って、墓石にはなめくじのはったあとがありありと残っていた。その多い墓石の中に清三の弟の墓があった。弟は一昨年の春十五歳で死んだ。その病《やまい》は長かった。しだいにやせ衰えて顔は日に日に蒼白《あおじろ》くなった。医師《いしゃ》は診断書に肺結核と書いたが、父母《ちちはは》はそんな病気が家の血統にあるわけがないと言って、その医師の診断書を信じなかった。清三は時々その幼い弟のことを思い起こすことがある。死んだ時の悲哀《かなしみ》――それよりも、今生きていてくれたなら、話相手になって、どんなにうれしかったろうと思う。そのたびごとにかれは花をたずさえて墓参りをした。
日曜日の朝、かれは樒《しきび》と山吹とを持って出かけた。庫裡《くり》で手桶《ておけ》を借りて、水をくんで、手ずから下げて裏へ回った。墓石はまだ建ててなく、風雨にさらされて黒くなった墓標が土饅頭《どまんじゅう》の上にさびしく立っている。父母も久しくお参りをせぬとみえて、花立ては割れていた。水を入れてもかいがなかった。
清三の姿は久しくその前に立っていた。もう五月の新緑があたりをあざやかにして、老鶯《ろうおう》の声が竹藪《たけやぶ》の中に聞こえた。
午後からは、印刷所に行ったり石川を訪問したりした。今日、弥勒《みろく》に帰らぬと、明日は少なくも朝の四時に家を出なければ授業時間に間に合わぬと知ってはいるが、どうも帰るのがいやで――親しい友人と物語る楽しみを捨ててろくろく話す人もないところに帰って行くのがいやで、われしらず時間を過ごしてしまった。
夕飯《ゆうめし》を食ってから、湯に出かけたが、帰りにふたたび郁治を訪ねて、あきらかな夕暮れの野を散歩した。
城址《しろあと》はちょっと見てはそれと思えぬくらい昔のさまを失っていた。牛乳屋の小さい牧場には牛が五六頭モーモーと声を立てて鳴いていて、それに接した青縞機業会社の細長い建物からは、機《はた》を織る音にまじって女工のうたう声がはっきり聞こえる。夕日は昔大手の門のあったというあたりから、年々田に埋め立てられて、里川《さとがわ》のように細くなった沼に画のようにあきらかに照りわたった。新たに芽を出した蘆荻《あし》や茅《かや》や蒲《がま》や、それにさびた水がいっぱいに満ちて、あるところは暗くあるところは明るかった。沼にかかった板橋を渡ると、細い田圃路《たんぼみち》がうねうねと野に通じて、車をひいて来る百姓の顔は夕日に赤くいろどられて見えた。
麦畑と桑畠、その間を縫うようにして二人は歩いた。話は話と続いて容易につきようとしなかった。路はいつか士族屋敷のあたりに出た。
家はところどころにあった。今日まで踏《ふ》みとどまっている士族は少なかった。昔は家から家へと続いたものであるが、今は晨《あした》の星のように畠と畠の間に一軒二軒と残っている。昔ふうの黒いシタミや白い壁や大きい栗の木や柿の木や井字形《せいじがた》の井戸側やまばらな生垣からは古い縁側《えんがわ》に低い廂《ひさし》、文人画を張った襖《ふすま》などもあきらかに見すかされた。夏の日などそこを通ると、垣に目の覚めるようなあかい薔薇《ばら》が咲いていることもあれば、新しい青簾《あおすだれ》が縁側にかけてあって、風鈴《ふうりん》が涼しげに鳴っていることもある。秋の霧の深い朝には、桔※[#「槹」の「白」に代えて「自」、69−12]《はねつるべ》のギイと鳴る音がして茘子《れいし》の黄いろいのが垣から口を開いている。琴の音などもおりおり聞こえた。
この士族屋敷にはやはりもとの士族が世におくれて住んでいた。役場に出ているものもあれば、小学校の先生をしているものもある。財産があって無為《ぶい》に月日を送っているものもあれば、小規模の養蚕などをやって暮らしているものもある。金貸しなどをしているものもあった。
士族屋敷の中での金持ちの家が一軒路《いっけんみち》のほとりにあった。珊瑚樹《さんごじゅ》の垣は茂って、はっきりと中は見えないが、それでも白壁の土蔵と棟《むね》の高い家屋とはわかった。門から中を見ると、りっぱな玄関があって、小屋のそばに鶏《とり》が餌をひろっている。
二人はその垣に添って歩いた。
垣がつきると、水のみちた幅のせまい川が気持ちよく流れている。岸には楊《やなぎ》がその葉を水面にひたして漣《さざなみ》をつくっている。細い板橋が川の折《お》れ曲《ま》がったところにかかっている。
美穂子の家はそこから近かった。
「行ってみようか。北川は今日はいるだろう」
清三はこう言って友を誘った。
その家は大きな田舎道をへだててひろい野に向かっていた。古びた黒い門があった。やっぱり廂《ひさし》の低い藁葺《わらぶき》の家で、土台がいくらか曲がっている。庭には松だの、檜《ひのき》だの、椿だのが茂っていた。今年の一月から三月にかけて、若い人々はよくこの家に歌留多牌《うたがるた》をとりにきたものである。美穂子の姉の伊与子《いよこ》、妹の貞子、それに国府《こくぶ》という人の妹に友子といって美しい人がいた。それらの少女連《おとめれん》と、郁治や清三や石川や沢田や美穂子の兄の北川などの若い人々が八畳の間にいっぱいになって、竹筒台《たけづつだい》の五分心の洋燈《らんぷ》の光の下に頭を並べて、夢中になって歌留多牌を取ると、そばには半白《はんぱく》の、品のいい、桑名訛《くわななまり》のある美穂子の母親が眼鏡をかけて、高くとおった声で若い人々のためにあきずに歌留多牌《うたがるた》を読んでくれた。茶の時には蜜柑《みかん》と五目飯《ごもくめし》の生薑《しょうが》とが一座の眼をあざやかにした。帰りはいつも十一時を過ぎていた。さびしい士族屋敷の竹藪《たけやぶ》の陰の道を若い男と女とは笑いさざめいて帰った。
北川は湯に行ってるすであった。「まア、よくいらっしゃいましたな……今、もうじき帰って参りますから……」母親はこう言って、にこにこして二人を迎えた。郁治はその笑顔に美穂子の笑顔を思い出した。声もよく似ている。
二人は庭に面した北川の書斎に通された。父親はどこに行ったか姿は見えなかった。
母親はしばし二人の相手をした。
「林さんは弥勒《みろく》のほうにお出になりましたッてな、まア結構でしたな……母《おっか》さん、さぞおよろこびでしたろうな」
こんなことを言った。
浦和にいる美穂子のうわさも出た。
「女がそんなことをしたッてしかたがないッて父親《ちち》は言いますけれどもな……当人がなかなか言うことを聞きませんでな……どうせ女のすることだから、ろくなことはできんのは知れてるですけど……」
「でもお変わりはないでしょう」
清三がこうきくと、
「え、もう……お転婆《てんば》ばかりしているそうでな」と母親は笑った。
すぐ言葉をついで、今度は郁治に、
「雪さんどうしてござるな」
「相変わらずぶらぶらしています」
「ちと、遊びにおつかわし。貞も退屈しておりますで……」
それこれするうちに、北川は湯から帰って来た。背の高い頬骨《ほおぼね》の出た男で、手織りの綿衣《わたいれ》に絣《かすり》の羽織を着ていた。話のさなかにけたたましく声をたてて笑う癖《くせ》がある。石川や清三などとは違って、文学に対してはあまり興味をもっていない。学校にいたころは、有名な運動家でベースボールなどにかけては級《クラス》の中でかれに匹敵するものはなかった。軍人志願で、卒業するとすぐ熱心に勉強して、この四月の士官学校の試験に応じてみたが、数学と英語とで失敗した。けれどあまり失望もしておらなかった。九月の学期には、東京に出て、しかるべき学校にはいって、十分な準備をすると言っている。
三人は胸襟《きょうきん》を開いて語り合った。けれどここで語る話と清三と郁治と話す話とは、大いに異なっていた。同じ親しさでも単に学友としての親しさであった。打ち解けて語ると言っても心の底を互いに披瀝《ひれき》するようなことはなかった。
ここでは、学校の話と将来の希望と受験の準備の話などが多く出た。北川は東京で受けた士官学校入学試験の話を二人にして聞かせた。「どうも試験に余裕がなくって困った。英語の書き取りなど一度しか読んでくれないんだから困るよ。それに試験の場所が大きく広すぎて、声が散ってよく聞きとれないんだから、ドマドマしてしまったよ。おまけに代数がばかにむずかしかった」
代数の二次方程式の問題をかれは手帳に書きつけてきた。それを机の抽斗《ひきだ》しやら押入れの中やら文庫の中やらあっちこっちとさがし回って、ようやくさがし出して二人
前へ
次へ
全35ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング