!」
大家《おおや》はまた釣の話をして聞かせることがあった。清三が胃腸を悩んでいるとかいうのを聞いて、「どうです、一ついっしょに出かけてみませんか。そういう病気には、気が落ち着いてごくいいですがな」こんなことを言って誘った。その場所はここから一里ぐらい行ったところで、田のところどころに掘切《ほっきり》がある。そこには葦荻《ろてき》が人をかくすぐらいに深く生《お》い茂《しげ》っている。鮒《ふな》や鯉《こい》やたなごなどのたくさんいるのといないのとがある。そのいるところを大家さんはよく知っていた。
二人で話している縁側の上に、中老の品のいい細君《さいくん》は、岐阜提灯《ぎふぢょうちん》をつるしてくれた。
時には母親と荻生さんと三人つれだって町を歩くこともあった。今年は「から梅雨《つゆ》」で、雨が少なかった。六月の中ごろにすでに寒暖計が八十九度まであがったことがあった。七月にはいってから、にわかに暑さが激しく、田舎町の夜には、縁台を店先に出して、白地の浴衣《ゆかた》をくっきりと闇に見せて、団扇《うちわ》をバタバタさせている群れがそこにもここにも見えた。母親は買い物をする町の店に熟していないので、そうした夜の散歩には、荻生さんがここが乾物屋、ここが荒物屋《あらものや》、呉服屋ではこの家が一番かたいなどと教えてくれた。下駄屋の店には、中年のかみさんが下駄の鼻緒《はなお》の並んだ中に白い顔を見せてすわっていた。鍛冶屋《かじや》にはランプが薄暗くついて、奥では話し声が聞こえていた。水のような月が白い雲に隠れたりあらわれたりして、そのたびごとにもつれた三つの影が街道にうつったり消えたりする。
用水の橋の上は涼しかった。納涼《のうりょう》に出た人々がぞろぞろ通る。冬や春は川底に味噌漉《みそこし》のこわれや、バケツの捨てたのや、陶器の欠片《かけら》などが汚なく殺風景《さっぷうけい》に見えているのだが、このごろは水がいっぱいにみなぎり流れて、それに月の光や、橋のそばに店を出している氷屋の提灯《ちょうちん》の灯影《ひかげ》がチラチラとうつる、流れる水の影が淡く暗く見える。向こうの料理店から、三絃《しゃみせん》の音が聞こえた。
三人は氷店に休んで行くこともある。母親は帰りに、八百屋《やおや》に寄って、茄子《なす》や白瓜《しろうり》などを買う。局の前で、清三は母親を先に帰して、荻生さんの室《へや》で十時過ぎまで話して行くことなどもあった。
五十一
七月十五日の日記にかれはこう書いた。
「杜国《とこく》亡びてクルーゲル今また歿《ぼっ》す。瑞西《すいっつる》の山中に肺に斃《たお》れたるかれの遺体《いたい》は、故郷《ふるさと》のかれが妻の側に葬《ほうむ》らるべし。英雄の末路《ばつろ》、言は陳腐《ちんぷ》なれど、事実はつねに新たなり。英雄クルーゲル元トランスヴァール共和国大統領ホウル・クルーゲル歿す。歴史はつねにかくのごとし」
五十二
医師《いしゃ》はやっぱり胃腸だと言った。けれど薬はねっから効《こう》がなかった。咳《せき》がたえず出た。体がだるくってしかたがなかった。ことに、熱が時々出るのにいちばん困った。朝は病気が直ったと思うほどいつも気持ちがいいが、午後からはきっと熱が出る。やむなく発汗剤をのむと、汗がびっしょりと出て、その心持ちの悪いことひととおりでない。顔には血の気がなくなって、肌《はだ》がいやに黄《き》ばんで見える。かれはいく度も蒼白《あおじろ》い手を返して見た。
「お前ほんとうにどうかしたのじゃないかね。しっかりした医師にかかってみるほうがいいんじゃないかね」
母親は心配そうにかれの顔を見た。
学校はやがて始まった。暑中休暇まではまだ半月ほどある。それに七時の授業始めなので、朝が忙しかった。母親は四時には遅くも起きて竃《かまど》の下を焼《た》きつけた。清三は薬瓶と弁当とをかかえて、例の道をてくてくと歩いて通った。一里半の通いなれた路――それにもかれはいちじるしい疲労を覚えるほどその体は弱くなっていた。それに、このごろでは滋養品をなるたけ多く取る必要があるので、毎日牛乳二合、鶏卵を五個、その他肉類をも食《く》った。移転の借金をまだ返さぬのに、毎日こうして少なからざる金がかかるので、かれの財布はつねにからであった。馬車に乗りたくも、そんな余裕はなかった。
五十三
八阪《やさか》神社の祭礼はにぎやかであった。当年は不景気でもあり、国家多事の際でもあるので、山車《だし》も屋台《やたい》もできなかったが、それでも近在から人が出て、紅い半襟や浅黄《あさぎ》の袖口やメリンスの帯などがぞろぞろと町を通った。こういう人たちは、氷店に寄ったり、瓜店《うりみせ》の前で庖丁《ほうちょう》で皮をむいてもらって立ち食いをしたり、よせ切れの集まった呉服屋の前に長い間立ってあれのこれのといじくり回したりした。大きな朱塗《しゅぬり》の獅子は町の若者にかつがれて、家から家へと悪魔をはらって騒がしくねり歩いた。清三が火鉢のそばにいると、そばの小路《こうじ》に、わいしょわいしょという騒がしい懸《か》け声がして、突然獅子がはいって来た。草鞋《わらじ》をはいた若者は、なんの会釈《えしゃく》もなく、そのままずかずかと畳の上にあがって、
「やあ!」
と大きな獅子《しし》の口をあげて、そのまま勝手もとに出て行った。
母親は紙に包んだおひねりを獅子の口に入れた。一人息子《ひとりむすこ》のために、悪魔を払いたまえ! と心に念じながら……。
五十四
母親は二階の床《とこ》の間に、燃《も》ゆるような撫子《なでしこ》と薄紫のあざみとまっ白なおかとらのおと黄《き》いろいこがねおぐるまとを交《ま》ぜて生《い》けた。時には窓のところにじっと立って、夕暮れの雲の色を見ていることもあった。そのやせた後ろ姿を清三は悲しいようなさびしいような心地でじっと見守った。
父親は二階の格子《こうし》を取りはずしてくれた。光線は流るるように一室にみなぎりわたった。窓の下には足長蜂《あしながばち》が巣を醸《かも》してブンブン飛んでいた。大家《おおや》の庭樹《にわき》のかげには一本の若竹が伸びて、それに朝風夕風がたおやかに当たって通った。
五十五
五月六日には体量十二貫五百目、このごろ郵便局でかかってみると、単衣《ひとえ》のままで十貫六百目、荻生さんは十三貫三百目。
ある日、田原ひで子が学校に来て手紙を小使に頼んでおいて行った。手紙の中には、手ずから折った黄いろい野菊の花が封じ込んであった。「野の菊は妾《わらわ》の愛する花、師の君よ、師の君よ、この花をうつくしと思ひたまはずや」と書いてあった。
暑中休暇前一二日の出勤は、かれにとってことにつらかった。その初めの日は帰途《かえり》に驟雨《しゅうう》に会い、あとの一日は朝から雨が横さまに降った。かれは授業時間の間《あいだ》々を宿直室に休息せねばならぬほど困憊《こんぱい》していた。それに今月の月給だけでは、薬代、牛乳代などが払えぬので、校長に無理に頼んで三円だけつごうしてもらった。
旅順|陥落《かんらく》の賭《かけ》に負けたからとて、校長は鶏卵《たまご》を十五個くれたが、それは実は病気見舞いのつもりであったらしい。教員たちは、「もうなんのかのと言っても旅順はじきに相違ないから、その時には休暇中でも、ぜひ学校に集まって、万歳を唱《とな》えることにしよう」などと言っていた。清三は八月の月給を月の二十一日にもらいたいということをあらかじめ校長に頼んで、馬車に乗ってかろうじて帰って来た。
暑中休暇中には、どうしても快復させたいという考えで、清三は医師《いしゃ》を変えてみる気になった。こんどの医師は親切で評判な人であった。診察の結果では、どうもよくわからぬが、十二指腸かもしれないから、一週間ばかりたって大便の試験をしてみようと言った。肺病ではないかときくと、そういう兆候《ちょうこう》は今のところでは見えませんと言った。今のところという言葉を清三は気にした。
五十六
滋養《じよう》物を取らなければならぬので、銭《ぜに》もないのに、いろいろなものを買って食った。鯉《こい》、鮒《ふな》、鰻《うなぎ》、牛肉、鶏肉《けいにく》――ある時はごいさぎを売りに来たのを十五銭に負けさせて買った。嘴《くちばし》は浅緑《あさみどり》色、羽は暗褐色《あんかっしょく》に淡褐色《たんかっしょく》の斑点《はんてん》、長い足は美しい浅緑色をしていた。それをあらくつぶして、骨をトントンと音させてたたいた。それにすらかれは疲労《つかれ》を覚えた。
泥鰌《どじょう》も百匁ぐらいずつ買って、猫にかかられぬように桶《おけ》に重石《おもし》をしてゴチャゴチャ入れておいた。十|尾《ぴき》ぐらいずつを自分でさいて、鶏卵《たまご》を引いて煮て食った。寺の後ろにはこの十月から開通する東武鉄道の停車場ができて、大工がしきりに鉋《かんな》や手斧《ておの》の音を立てているが、清三は気分のいい夕方などには、てくてく出かけて行って、ぽつねんとして立ってそれを見ていることがある。時には向こうの野まで行って花をさがして来ることもある。えのころ、おひしば、ひよどりそう、おとぎりそう、こまつなぎ、なでしこなどがあった。
新聞にはそのころ大石橋《だいせっきょう》の戦闘詳報が載っていた。遼東《りょうとう》! 遼陽! という文字が至るところに見えた。ある日、母親は急性の胃に侵《おか》されて、裁縫を休んで寝ていた。物を食うとすぐもどした。そして吃逆《しゃくり》も激しく出た。土用のあけた日で、秋風の立ったのがどことなく木の葉のそよぎに見える。座敷にさし入る日光から考えて、太陽も少しは南に回ったようだなどと清三は思った。そこに郁治《いくじ》がひょっくり高等師範の制帽をかぶった姿を見せた。この間うちから帰省していて、いずれ近いうちに新居を訪問したいなどという端書《はがき》をよこしたが、今日は加須《かぞ》まで用事があってやって来たから、ふと来る気になって訪ねたという。郁治は清三のやせ衰えた姿に少なからず驚かされた。それに顔色の悪いのがことに目立った。
親しかった二人は、夕日の光線のさしこんだ二階の一間に相対してすわった。相変わらず親しげな調子であるが、言葉は容易に深く触《ふ》れようとはしなかった。時々話がとだえて黙っていることなどもあった。
「小畑はこの間日光に植物採集に出かけて行ったよ」
こんなことを言って、郁治はとだえがちなる話をつづけた。
清三は、「君、帰ったら、ファザーに一つ頼んでみてくれたまえな。どうもこう体《からだ》が弱っては、一里半の通勤はずいぶんつらいから、この町か、近在かにどこか転任の口はないだろうかッて……。弥勒《みろく》ももうずいぶん古参《こさん》だから、居心地は悪くはないけれど、いかにしても遠いからね、君」
こう言って転任運動を頼んだ。
夕餐《ゆうめし》には昨夜猫に取られた泥鰌《どじょう》の残りを清三が自分でさいてご馳走した。母親が寝ているので、父親が水を汲んだり米をたいたり漬《つ》け物を出したりした。
郁治は見かねてよほど帰ろうとしたが、あっちこっちを歩いて疲れているので、一夜泊めてもらって行くことにした。
「郁《いく》さんがせっかくおいでくだすったのに、あいにく私がこんなふうで、何もご馳走もできなくって、ほんとうに申しわけがない」
しげしげと母親は郁治の顔を見て、
「郁さんのように、家《うち》のも丈夫だといいのだけれど……どうも弱くってしかたがないんですよ。……それに郁さんなぞは。学校を卒業さえすれば、どんなにもりっぱになれるんだから、母さんももう安心なものだけれど……」
しみじみとした調子で言った。
美穂子の話が出たのは、二人が蚊帳《かや》の中にはいって寝てからであった。学校を出るまではお互いに結婚はしないが、親と親との口約束はもうすんだということを郁治は話した。
「それ
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