はしばし黙《だま》って歩いた。
「いったいどうしたんだ?」
 しばらくして清三がきいた。
「何が?」
「しらばっくれてるねえ、君は? 僕はちゃんと聞いて知ってるよ」
「何を?」
「大いに発展したッていうじゃないか」
「誰が話した?」
「ちゃんと知ってるさ!」
「誰も知ってるものはないはずだがな」と言って考えて、「ほんとうに誰が話した?」
「ちゃんと材料は上がってるさ」
「誰だろうな!」
「あててみたまえ」
 少し考えて、
「わからん」
「小畑が君、君のシスタアに何か言ったことがあるかえ? 僕のことで」
「ああ、妹《いもうと》がしゃべッたんだな、彼奴《あいつ》、ばかな奴だな!」
「まア、そんなことはいいから、僕のいうことを返事しまたえ」
「何を」
「小畑が君のシスタアに何か言ったかッていうことだよ」
「知らんよ」
「知らんことはないよ、僕が君と Art の関係について、中にはいってるとかどうしたとか言ったことがあるそうだね」
「うむ、そういえばある」と郁治は思い出したというふうで、「君が北川によく行くのはどうかしたんじゃないかなんて言ったことがある」
「君のシスタアについても何か先生言いやしなかったか」
「戯談《じょうだん》は言ったかもしらんが、くわしくはよく知らん」
 二人は黙って歩いた。

       二十五

 郁治と美穂子との「新しき発展」について、清三はいろいろとくわしく聞いた。雪子から美穂子にやる手紙の中に郁治が長い手紙を入れてやったのは一月ほど前であった。やがて郁治にあてて長い返事が来た。その返事をかれはその夜とある料理屋で酒を飲みながら清三に示した。その手紙には甘い恋の言葉がところどころにあった。郁治の手紙を寄宿舎の暗い洋燈《らんぷ》の光のもとでくり返しくり返し読んだことなどが書いてある。お互いにまだ修業中であるから、おっしゃるとおり、社会に成功するまで、かたい交際を続けたいということも書いてある。これで見ると、郁治もそんなことを言ってやったものとみえる。清三はその長い手紙を細かく読むほどの余裕はなかった。かれは飛び飛びにそれを見たが、ところどころの甘い蜜のような言葉はかれの淋しい孤独の眼の前にさながらさまざまの色彩でできた花環《はなわ》のようにちらついて見えた。酒に酔って得意になって、友のさびしい心をも知らずに、平気におのろけを言う郁治の態度が、憎くもあり腹立しくもあり気の毒にもなった。清三はただフンフンと言って聞いた。
「その代わり僕は僕のできる限りにおいて、君のために尽力《じんりょく》するさ!」
 こんなことを[#「 こんなことを」は底本では「こんなことを」]郁治はいく度も言った。
「小畑もそんなことを言っていたよ。僕だッて、君の心地《こころもち》ぐらいは知っているさ」
 こんなことをも言った。
 郁治はまた石川のこのごろ溺《おぼ》れている加須《かぞ》の芸者の話をした。
「先生、このごろは非常に熱心だよ。君も知ってるだろうが、自転車を買ってね、遠乗《とおの》りをするんだとかなんとか言って、毎日のように出かけて行くよ。東京から来た小蝶《こちょう》とかいう女で、写真を大事にして持っていたよ。金持ちの息子なんていうものの心はまるでわれわれとは違うねえ君。勉強なんぞしないでも、りっぱに一人前になっていかれるんだからねえ」
 できるだけの力をつくすと言った言葉、その言葉の陰に雪子がいることを清三はあきらかに知っていた。けれどそれが清三にはあまりうれしくは思われなかった。つんとすました雪子の姿が眼の前を通ってそして消えた。かれはいまさらに美穂子の姿のいっそう強い影をその心に印《いん》しているのを予想外に思った。こういう道行《みちゆ》きになるのはかれもかねてよく知っていたことである。ある時はそうなるのを友のために祈ったことすらある。けれど想像していた時と事実となった時との感ははなはだしく違った。
 清三の心はさびしかった。自己の境遇が実際生活の上からも、恋愛の上からも、学問修業という上からも、ますます消極的に傾いてきて、たとえば柱と柱との間に小さく押しつけられてしまったような気がした。初めはどうしても酔わなかった酒が、あとになるとその反動で激しく発して来て、帰るころには、歌をうたったり詩を吟じたりして郁治を驚かした。
 しかし一段落を告げたというような気がないでもなかった。恋を失ったのはつらいが、恋に自由を奪われなかったのはうれしいような気もする。今までの友だちに対しての心持ちも少しく離れて、かえって自己をあきらかに眼の前に見るように思った。
 かれは懐《ふところ》に金を七円持っていた。その中のいく分を父母の補助に出すつもりであったが、旅行をする気がないでもないので、わざとそれをしまっておいた。年の暮れももう近寄って来た。西風が毎日のように関東平野の小さな町に吹きあれた。乾物屋《かんぶつや》の店には数の子が山のように積まれ、肴屋《さかなや》には鮭が板台《はんだい》の上にいくつとなく並べられた。旧暦《きゅうれき》で正月をするのがこの近在の習慣なので、町はいつもに変わらずしんとして、赤い腰巻をした田舎娘も見えなかった。郡役所と警察署と小学校とそれにおもだった富豪《かねもち》などの注連飾《しめかざ》りがただ目に立った。
 六畳には炬燵《こたつ》がしてあった。清三は多くそこに日を暮らした。雑誌を読んだり、小説を読んだり、時には心理学をひもといてみることなどもあった。そばでは母親が賃仕事《ちんしごと》のあい間を見て清三の綿衣《わたいれ》を縫っていた。午後にはどうかすると町へ行って餅菓子を買って来て茶をいれてくれることなどもある。一夜《あるよ》凩《こがらし》が吹き荒れて、雨に交って霙《みぞれ》が降った。父と母と清三とは炬燵《こたつ》を取りまいて戸外《おもて》に荒るるすさまじい冬の音を聞いていたが、こうした時に起こりかけた一家の財政の話が愚痴《ぐち》っぽい母親の口から出て、借金の多いことがいく度となくくり返された。
「どうも困るなア」
 清三は長大息《ためいき》を吐《つ》いた。
「いま少し商売がうまく行くといいんだが、どうも不景気でなア。何をやったッてうまいことはありやしない」
 父親はこう言った。
「ほんとうにお前には気の毒だけれど毎月いま少し手伝ってもらわなくっては――」母親は息子《むすこ》の顔を見た。
「それは私は倹約をしているんですよ、これで……」と清三は言って、「煙草もろくろく吸わないぐらいにしているんですけれど……」
「お前にはほんとうに気の毒だけれど……」
「父《おとっ》さんにもいま少しかせいでもらわなくっちゃ――」
 清三は父に向かって言った。
 父は黙っていた。
 財政の内容を持ち出して、母親がくどくどとなお語《かた》った。清三は母親に同情せざるを得なかった。かれは熱心に借金の不得策《ふとくさく》なのを説いて、貧しければ貧しいように生活しなければならぬことを言った。最後にかれはしまっておいた金を三円出して渡した。
 友だちを訪問しても、もう以前のようにおもしろくなかった。郁治はたえずやって来るが、こっちからはめったに出かけて行かない。会うとかならず美穂子の話が出る。それを聞くのが清三にはこの上なくつらかった。北川にも行ってみようとは時々思うが、なんだか女々《めめ》しいような気がしてよした。散歩もこのごろは野が寒く、それにあたりに見るものもなかった。かれは退屈すると一軒おいて隣の家に出かけて行って、日当たりのいい縁側に七|歳《つ》八|歳《つ》ぐらいの娘《むすめ》の児を相手に、キシャゴ弾《はじ》きなどをして遊んだ。
 髪の長い眉《まゆ》の美しい児《こ》がその中にあった。警察に転任して来た警部とかの娘で、まだ小学校へもあがらぬのに、いろはも数学もよく覚えていた。百人一首もとびとびに暗誦《あんしょう》して、恋歌などを無意味なかわいい声で歌って聞かせた。清三は一から十六までの数を加減して試みてみたが、たいていはまちがいなくすらすらと答えた。かれはセンチメンタルな心の調子で、この娘の児《こ》のやがて生いたたん行く末を想像してみぬわけにはいかなかった。「幸あれよ。やさしき恋を得よ」こう思ったかれの胸には限りなき哀愁がみなぎりわたった。
 熊谷に出かけた日は三十日で、西風が強く吹いた。小島も桜井も東京から帰っていた。小畑はことに熱心にかれを迎えた。けれどかれの心は昔のように快活にはなれなかった。旧友はみな清三の蒼い顔に沈んだ調子と消極的な言葉とをあやしみ見た。清三はまたいっそう快活になった友だちに対してなんだか肩身が狭《せま》いような気がした。
 熊谷の町はにぎやかであった。ここでは注連《しめ》飾りが町家の軒《のき》ごとに立てられて、通りの角《かど》には年の暮れの市が立った。橙《だいだい》、注連《しめ》、昆布《こんぶ》、蝦《えび》などが行き通う人々の眼《め》にあざやかに見える。どの店でも弓張《ゆみは》り提灯《ちょうちん》をつけて、肴屋《さかなや》には鮭、ごまめ、数の子、唐物屋《とうぶつや》には毛糸、シャツ、ズボン下などが山のように並べられてある。夜は人がぞろぞろと通りをひやかして通った。
 大晦日《おおみそか》の朝、清三はさびしい心を抱いて、西風に吹かれながら、例の長い街道をてくてくと行田に帰った。いまさらに感ぜられるのは、境遇につれて変わり行く人々の感情であった。昨年の今ごろ、こうしたことがあろうとは夢にも思っておらなかった。親しい友だちの間柄がこういうふうに離れ離れになろうとは知らなかった。人は境遇の動物であるという言葉をかれはこのごろある本で読んだことがある。その時は、そんなことがあるものかとよそごとに思ってすてた。けれどそれは事実であった。
 家に帰ってみると、借金取りはあっちこっちから来ていた。母親がいちいち頭を下げて、それに応対しているさまは見るにしのびない。父親は勘定が取れぬので、日の暮れるころ、しょぼしょぼとしおたれた姿で帰って来る。「あゝあゝ、しかたがねえ!」と長大息《ためいき》をついて、予算の半分ほどもない財布を母に渡した。清三は見かねて、金をまた二円出した。
 夜になってから、母親は巾着《きんちゃく》の残りの銭をじゃらじゃら音をさせながら、形《かたち》ばかりの年越しをするために町に買い物に行った。のし餅を三枚、ゴマメを一袋、鮭を五切れ、それに明日の煮染《にしめ》にする里芋を五合ほど風呂敷に包んで、重い重いと言ってやがて帰って来た。その間に父親は燈明を神棚《かみだな》と台所と便所とにつけて、火鉢には火をかっかっと起こしておいた。やがて年越しの膳《ぜん》はできる。
 父親ははげた頭を下げて、しきりに神棚を拝んでいたが、やがて膳に向かって、「でも、まあ、こうして親子三人年越しのお膳に向かうのはめでたい」と言って、箸《はし》を取った。豆腐汁に鮭、ゴマメは生《なま》で二|疋《ひき》ずつお膳につけた。一室は明るかった。
 母親は今夜中に仕立ててしまわねばならぬ裁縫物《しごと》があるので、遅くまでせっせと針を動かしていた。清三はそのそばで年賀状を十五枚ほど書いたが、最後に毎日つける日記帳を出して、ペンで書き出した。
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三十一日。
今歳《ことし》もまた暮れ行く。
思ひに思ひ乱れてこの三十四年も暮れ行かんとす。
思ふまじとすれど思はるるは、この年の暮れなり。
かくて最後の決心はなりぬ。
無言[#「無言」に丸傍点]、沈黙[#「沈黙」に丸傍点]、実行[#「実行」に丸傍点]。
われは運命に順《したが》ふの人ならざるべからず。とても、とても、かくてかかる世なれば、われはた多くは言はじ。
明星、新声来る。
ああ終《つい》に終に三十四年は過ぎ去りぬ。わが一生において多く忘るべからざる年なりしかな。
言はじ、言はじ、ただ思ひいたりし一つはこれよ、曰く、かかる世なり、一人言はで、一人思はむ。ああ。
[#ここで字下げ終わり]
 かれは日記帳を閉じてそばにやって新着の明星を読み出した。

       二十
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