何うかなると、熊に山路で襲はれることなどもある。鹿の肉は澤山にあるが、これはしかしさう大して旨くない。猿は山の人は平氣で食ふ。ひえる體などには非常に暖まつて好いと言ふことである。しかし肉はさう旨い方ではない。兎も澤山にゐる。
 それに栗山蕎麥が有名である。私はあちこちの蕎麥を食つて見たが、この山中の燒畑で穫れたものほど旨く思つたことはない。かをりが非常に高い。その他、栗山の川俣で食つた栗山餠といふうるち[#「うるち」に傍点]の玄米でつくつた餠が旨かつた。造酒家ばかりが知つてゐるひねり餠といふのと同じものだ。

    四

 寺坊の多くは、夏は贅澤な避暑の人達の借りる所となつた。ある寺の二階の欄干からは、若々しい孃さん達の笑聲が聞え、ある寺の一間からは玲瓏としたなつかしい琴の音などが洩れた。新婚の若夫婦、侍女をつれたなにがし侯爵夫人、腕を組んで快活に歩いて行く外國人夫妻、町も山もすべて賑やかな派手な色彩を着けて來た。其頃は夏の日の光線にかゞやいた碧い空が、山と谷との上を蔽うて、電車が明るい快い姿を溪畔から山の町の方へと駛《はし》らせて行つた。
 町は夜は賑やかだ。遊覽の客が浴衣がけでぞ
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