けて、赤い白い競漕の旗の水面に靡いてゐるのも美しければ、三角の帆を張つたボオトが滑らかに湖上に動いて行くのも繪のやうである。
 湖に面した旅舍は、二三年前の火事に燒けて、今や欄干からすぐ湖水を見ることは出來なくなつたが、それでも猶ほ旅客の眼を樂ませるには十分だ。
 湖を渡つて歌ヶ濱に行く。其處の觀音堂にある勝道上人手刻の觀音像は今は國寶になつてゐるが、頗る見事である。私は多く佛像を見たがあんな威嚴を持つた觀音像はついぞ一度も見たことはなかつた。
 湖水の朝は殊に好かつた。水の色が好い。嵐氣の深いのが好い。歌ヶ濱から、上野島《かうづけしま》から、乃至は合潟《あせかた》の岸から見た男體は、殊にその形の端麗なので聞えてゐた。で、舟で菖蒲ヶ濱へと渡る。龍頭《りうづ》の瀑、つづいてさびしい戰場ヶ原、そこには草花が多く、夏は一面美しい毛氈を敷いたやうに見えた。そして其奧にはモウパッサンの『Inn』を思はせるやうな、冬は全く深雪に埋もれて了ふ湯本の温泉場があるのであつた。
 日光の山の町の灯も私にはなつかしかつた。料理屋の軒近くまで夜霧が深くかかつて來て、電燈の光が光鋩もなくぼんやりと濡れてかがやい
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