た種に芽が生えて、十分ではなくても、兎に角|子息《むすこ》が月給取になつて、呼んで呉《く》れるのは嬉しいが、東京といふ処は石の上の住居《すまゐ》、一晩でも家賃といふものを出さずには寝られない。それよりはどんなにあばら屋でも、自分の家《うち》で足を長くして寝て居る方が好い。主婦もいざとなつてからかう言ひ出した。しかし月給取になつた子息《むすこ》を一人都に離して置くのも気がかりであつた。それに修業盛《しふげふざかり》の弟達《おととたち》の為めもあつた。
 親類や知人などは一月《ひとつき》も前から、お別れだと言つては、饂飩《うどん》を打つたり肴《さかな》を買つたりして、老夫婦や主婦を呼んで御馳走をした。
 一人の娘は去年さる機屋《はたや》に望まれて嫁にやつた。今年の四月頃から懐妊の気味で、其の前から出るの入《はい》るのと言つて居たが、愈々《いよいよ》上京の話が決ると、『私《わたし》ばかり置いて行くのかえ、母《おつか》さん』と言つて泣きに来た。母親は、『まア、何《ど》うにでもするから、兎に角体が二つになるまで辛抱してお出《い》で』かう宥《なだ》めたり賺《すか》したりしたが、今朝《けさ》発《た》
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