居るかを知らなかつた。
川は暗かつた。岸の灯《ともし》が明るく処々《ところどころ》に点《つ》いて居た。誰か大な声を立てゝ土手の上を通つて行つた。
艫《ろ》の音が絶えず響く。
船の中にも蚊が居るので、主婦は準備して来た蚊帳《かや》を苫《とま》の角に引懸《ひきか》けて低く吊つて、其処《そこ》に一緒にゴタゴタに頭やら足やらを入れて寝た。棚の上の三分の洋燈《ランプ》は、薄暗く青い蚊帳《かや》を照して居た。涼しい河風がをりをり吹いて通つた。
兄の方の少年は、蚊帳《かや》の中に入《はい》つても、容易に眠られなかつた。眼が冴えて仕方がなかつた。かれは船を漕いで居る船頭の船尾《とも》の処に行つて、黙つて暗い水を眺めて立つた。
一人の船頭は、マッチを闇に摺《す》つて、大きな煙管《きせる》に火をつけて、スパリスパリ遣《や》つて居た。時々|苫《とま》の中の明るく見える船や、篝《かがり》のやうに火を焼《た》いて居る船などがあつた。
朝、人々が眼を覚した時には、船はある小さな埠頭《はとば》に留つて居た。朝霧の晴れ間から、青い蚊帳《かや》を吊つた岸の二階屋の一間《ひとま》が見えたり、女が水に臨んで物を
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