が見えた。
 其頃、栗橋の鉄橋が出来たばかりであつた。町からわざわざ其橋を見に行つたものも少《すくな》くなかつた。其噂は一家族の人々の耳にも聞えた。
『それ見ろよ、あれが栗橋の鉄橋だと』
 かう主婦が二人の少年に指《ゆびさ》して見せた。川を跨《また》いだ大きな鉄橋は暗い夜《よ》の闇の中に其|輪廓《りんくわく》をはつきりと描いて居た。珍らしいものにあくがれて居る兄弟の心は躍らざるを得なかつた。
 やがて船は近づいて行つた。橋杭《はしぐひ》に当る水音は高く聞えた。少年も老爺《ろうや》も主婦も其下を通る時、皆仰向いて、その大きな鉄橋を闇に透《すか》して見た。兄弟は手を延してその橋杭《はしぐひ》を叩いて通つた。

     六

 兄弟の心は東京に憧れ切つて居た。
 中でも兄は、これで多年《たねん》の志が遂げられたやうな気がした。東京に行きさへすれば、どんな目的でも達せられる。何《ど》んな豪《えら》い人にでもなれる。馬車に乗るやうな立派な人にもなれる。其処《そこ》には、かれの為めに、あらゆる好運と幸福とが門を開いて待つて居るやうにすら思はれた。
 其処《そこ》には何《ど》んな物がかれ等を待つて
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