はま》つて居る女があつたとかで、家の衰へて行くのにも頓着せず、米を売つた代価とか、蚕《かひこ》を売つた金とかありさへすれば、五両なり十両なりそれを残らず引攫《ひつさら》つて飛出して、四日、五日、その金の有らん限り、流連《ゐつゞけ》して更に家に帰らうとも為なかつた。父親と母親とは重右街門とは始めから仲が悪いので、商売を為るとか言つて、其頃長野へ出て居つたから、家には只死に瀕した祖父一人。その祖父は曾《かつ》て孫を此上なく寵愛《ちようあい》して、凡《およ》そ祖父の孫に対する愛は、遺憾《ゐかん》なく尽して居つたにも拘《かゝは》らず、その死の床には侍《はべ》つて居るものが一人も無いとは!
 二日程前から病に罹《かゝ》つて、老人はその腰の曲つた姿を家の外に顕《あら》はさなかつたが、其三日目の晩に、あまり家の中がしんとして居ると言ふので、隣の者が行つて見ると、老人《としより》行火《あんくわ》に凭《よ》り懸つたまゝ、丸くなつて打伏して居る。
「爺様《ぢいさん》! 何うだね」
 と声を懸けても、返事が無い。
「爺様!」
 と再び呼んでも、猶《なほ》返事を為ようとも為ない。これは不思議だと怪んで、急いで
前へ 次へ
全103ページ中64ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング