こ》んで了《しま》へと決議した人の一人であつたといふ。性質の穏かな、言葉数の少ない、慈愛心の深い人で、殊に学問――と謂《い》ふ程でも無いが、御家流《おいへりう》の字が村にも匹敵《ひつてき》するものが無い程上手で、他村への交渉、飯山藩の武士への文通などは皆この人に頼んで書いて貰ふのが殆ど例になつて居たといふ事である。この人は千曲川の対岸の大俣《おほまた》といふ処から、妻を娶《めと》つたが、この妻といふ人も至極好人物で、貧乏者にはよく米を遣つたり、金銭を施したりして、年が老《と》つてからは、寺参りをのみ課業として、全く後生《ごしやう》を願ふといふ念より外に他《ほか》は無かつた。であるのに、僅《わづ》か一代を隔てて、何うしてこんな不幸がその藤田一家を襲つたのであらうか。何うしてその祖父祖母の孫に今の重右衛門のやうな、乱暴|無慚《むざん》の人間が出たのであらうか。
 その優しい正しい祖父祖母の問に、仮令《たとへ》女でも好いから、まことの血統を帯びた子といふ者が有つたなら、決してこんな事は無かつたらうとは、村でも心ある者の常に口に言ふ所であるが、不幸にもその祖父祖母の間には一人の子供も無かつたの
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