、その流るゝやうな涼しい光は先《まづ》第一に三峯《みつみね》の絶巓《いたゞき》とも覚しきあたりの樹立《こだち》の上を掠《かす》めて、それから山の陰に偏《かたよ》つて流るゝ尾谷の渓流には及ばずに直ちに丘の麓《ふもと》の村を照し、それから鎮守の森の一端を明かに染めて、漸《やうや》く自分等の前の蕎麦の畑に及んで居る。洋燈《ランプ》をさへ点《つ》けなければ、其光は我等の清宴の座に充《み》ちて居るに相違ないのである。
山県が来たので、一座の話に花が咲いて、東京の話、学校の話、英語の話、詩の話、文学の話、それからそれへと更にその興は尽きようともせぬ。果ては、自分は興《きよう》に堪へかねて、常々暗誦《あんしよう》して居る長恨歌《ちやうごんか》を極めて声低く吟《ぎん》じ始めた。
「この良夜を如何《いか》んですナア」
と山県はしみ/″\感じたやうに言つた。
此時鎮守の森の陰あたりから、夜を戒《いまし》める柝木《ひやうしぎ》の音がかち/\と聞えて、それが段々向ふヘ/\と遠《とほざ》かつて行く。
「今夜の柝木番は誰だえ、君ぢや無かつたか」
と根本は山県に訊《たづ》ねた。
「私《わし》だつたけれど、…
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