、いかにこの妻の丈高く、体格の大きいかといふ事に思ひ及んだ。これは大方東京で余り「老いたる夫と若い妻」との一行を見馴れた故《せゐ》であらう。
 自分はその妻の手に由《よ》つて、直ちに友の父なる人に紹介された。父なる人は折しも鋸《のこぎり》や、鎌や、唐瓜《たうなす》や、糸屑などの無茶苦茶に散《ちら》ばつて居る縁側に後向に坐つて、頻りに野菜の種を選分《えりわ》けて居るが、自分を見るや、兼ねて子息《むすこ》から噂《うはさ》に聞いて居つた身の、さも馴々しく、
「これは/\東京の先生――好《よ》う、まア、この山中《やまんなか》に」
 といふ調子で挨拶《あいさつ》された。
 流石《さすが》は若い頃江戸に出て苦労したといふ程あつて、その人を外《そら》さぬ話し振、その莞爾《にこ/\》と満面に笑《ゑみ》を含んだ顔色《かほつき》など、一見して自分はその尋常ならざる性質を知つた。輪廓の丸い、眼の鋭い、鼻の尖《とが》つた顔のつくりで、体格は丸で相撲取でもあるかのやうに、でつぷりと肥つて、体重は二十貫目以上もあらうかと思はれるばかりであつた。これが当年の無頼漢《ぶらいかん》、当年の空想家、当年の冒険家で、一度は
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