の大きさまで育てる事もあるといふ話。周囲には萱《かや》やら、薄《すゝき》やらの雑草が次第もなく生ひ茂つて水際には河骨《かうほね》、撫子《なでしこ》などが、やゝ濁つた水にあたらその美しい影をうつして、居るといふ光景であつた。山県の話に、自分が十五六の悪戯盛《いたづらざかり》には相棒の杉山とよくこの田池《たねけ》の鯉を荒して、一夜に何十尾といふ数を盗んで、殆ど仕末に困つた事があつたとの事を聞いて居つたが、その所謂《いはゆる》田池がこんな小さな汚穢《きたな》い者とは夢にも思つて居らなかつた。否、其友の家――村一番の大尽の家をもこんな低い小さいものとは?
 ふと見ると、その田池に臨んで、白い手拭を被つた一人の女が、頻《しき》りに草刈鎌を磨いで居る。
「神《かみ》さまア、旦那様《だんなさア》に吩咐《いひつ》かつて、東京の御客様ア伴《つ》れて来たゞア」
 と小童は突如《だしぬけ》に怒鳴つた。
 女は驚いて顔を上げた。何処と言つて非難すべきところは無いが、色の黒い、感覚の乏しい、黒々と鉄漿《おはぐろ》を附けた、割合に老《ふ》けた顔で、これが友の妻とすぐ感附いた自分は、友の姿の小さく若々しいのに比べて
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