、喞筒《ポンプ》だい」
と言つたが、見知らぬ自分の姿に其儘走つて行つて了つた。
成程|喞筒《ポンプ》に相違ない。けれどこの静かな山中の村にあのやうな喞筒! 火事などは何十年有らうとも思はれぬこの山中に、あのやうな喞筒の練習! 自分は何だか不思議なやうな気が為《し》て仕方が無かつたが、これは只《たゞ》何の意味も無い練習に止《とゞ》まるのであらうと解釈して、其儘其村へと入つて行つた。先《まづ》最初に小さい風情《ふぜい》ある渓橋、その畔《ほとり》に終日動いて居る水車、婆様《ばあさん》の繰車《いとぐるま》を回しながら片手間に商売をして居る駄菓子屋、養蚕《やうさん》の板籠を山のごとく積み重ねた間口の広い家、娘の唄《うた》を歌ひながら一心に機《はた》を織《おつ》て居る小屋など、一つ/\顕《あら》はれるのを段々先へ先へと歩いて行くと、高低|定《さだま》らざる石の多い路の凹処《くぼみ》には、水が丸で洪水《こうずゐ》の退《ひ》いた跡でもあるかのやうに満ち渡つて、家々の屋根は雨あがりの後のごとく全く湿《うるほ》ひ尽して居る。
否、そればかりではない、それから大凡《およそ》十間ばかり離れたところには、
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