く》その好景に見惚《みと》れて居た。
 ふと背負籠《しよひかご》を負つた中老漢《ちゆうおやぢ》が向ふから上《のぼ》つて来たので、
「あの山は?」
 と指《ゆびさ》して尋ねた。
「あれでがすか、あれははア、飯山《いひやま》の向ふの高社山《かうしやざん》と申しやすだア」
 あれが高社山! よく友の口から聞いたと思ふと、其時の事が簇々《むら/\》と思ひ出されて今更其頃が懐《なつ》かしい。其頃は其仙境を何時《いつ》尋ねて行かれるであらうか、或は一生尋ねて行く事が出来ぬかも知れぬなどと思つて居たが、五年後の今日かうして尋ねて行くとは、如何に縁の深い事であらう。
「塩山村《しほやまむら》へはまだ余程あるかね」
「塩山へかね」と背負籠《しよひかご》を傍《かたはら》の石の上に下して、腰を伸しながら、「塩山へは此処からまだ二里と言ひやすだ。あの向ふの大《でか》い山の下に小《こまか》い山が幾箇《いくつ》となく御座らつせう。その山中《やまんなか》だアに……」
「塩山に根本といふ家はあるかね」
 と自分は更に尋ねた。
「根本………御座らしやるとも、根本ていのア、塩山では一等の丸持大尽《まるもちだいじん》でごわ
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