前に永久《とこしへ》に降伏し終るであらうか」
「或は謂《い》ふかも知れぬ。これ自然の屈伏にあらず、これ自然の改良であると。けれど人間は浅薄なる智と、薄弱なる意とを以て、如何《いか》なるところにまで自然を改良し得たりとするか」
「神あり、理想あり、然れどもこれ皆自然より小なり。主義あり、空想あり、然れども皆自然より大ならず。何を以てかくいふと問ふ者には、自分は箇人《こじん》の先天的解剖をすゝめようと思ふ」
 少時《しばらく》考へて後、
「重右衛門の最期《さいご》もつまりはこれに帰するのではあるまいか。かれは自分の思ふ儘《まゝ》、自分の欲する儘、則ち性能の命令通りに一生を渡つて来た。もしかれが、先天的に自我一方の性質を持つて生れて来ず、又先天的にその不具の体格を持つて生れて来なかつたならば、それこそ好く長い間の人生の歴史と習慣とを守り得て、放恣《はうし》なる自然の発展を人に示さなくつても済むだのであらうが、悲む可《べ》し、かれはこの世に生れながら、この世の歴史習慣と相容るゝ能はざる性格と体とを有《も》つて居た」
「殊に、かれは自然の発展の最も多かるべき筈《はず》にして、しかも歴史習慣を太甚《はなはだ》しく重んずる山中の村――この故郷を離るゝ事が出来ぬ運命を有して居た」
 と思ふと、自分が東京に居て、山中の村の平和を思ひ、山中の境の自然を慕つたその愚かさが分明《はつきり》自分の脳に顕《あら》はれて来て、山は依然として太古、水は依然として不朽、それに対して、人間は僅《わづ》か六千年の短き間にいかにその自然の面影《おもかげ》を失ひつゝあるかをつく/″\嘆ぜずには居られなかつた。
「けれど‥‥‥」
 と少時《しばらく》して、
「けれど重右衛門に対する村人の最後の手段、これとて人間の所謂《いはゆる》不正、不徳、進んでは罪悪と称すべきものの中に加へられぬ心地するは、果して何故であらう。自然……これも村人の心底から露骨にあらはれた自然の発展だからではあるまいか」
 此時ゆくりなく自分の眼前に、その沈黙した意味深い一座の光景が電光《いなづま》の如く顕《あらは》れて消えた。続いて夜の光景、暁の光景、ことに、それと聞いて飛んで来た娘つ子の驚愕《おどろき》。
「爺様《とつさん》、嘸《さ》ぞ無念だつたべい。この仇《かたき》ア、己《おら》ア、屹度《きつと》取つて遣るだアから」
 と怪しげなる声を
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