重右衛門の最後
田山花袋

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)何《ど》ういふ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一度|猟夫手記《れふふしゆき》の中に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「冫+影」、333−上−9]気《けいき》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一

 五六人集つたある席上で、何《ど》ういふ拍子か、ふと、魯西亜《ロシヤ》の小説家イ、エス、ツルゲネーフの作品に話が移つて、ルウヂンの末路や、バザロフの性格などに、いろ/\興味の多い批評が出た事があつたが、其時なにがしといふ男が急に席を進めて、「ツルゲネーフで思ひ出したが、僕は一度|猟夫手記《れふふしゆき》の中にでもありさうな人物に田舎《ゐなか》で邂逅《でつくは》して、非常に心を動かした事があつた。それは本当に、我々がツルゲネーフの作品に見る魯西亜の農夫そのまゝで、自然の力と自然の姿とをあの位明かに見たことは、僕の貧しい経験には殆《ほとん》ど絶無と言つて好い。よく観察すれば、日本にも随分アントニイ、コルソフや、ニチルトッフ、ハーノブのやうな人間はあるのだ」と言つて話し出した。

     二

 まアずつと初めから話さう。自分が十六の時始めて東京に遊学に来た頃の事だから、もう余程古い話だが、其頃|麹町《かうぢまち》の中六番町に速成学館といふ小さな私立学校があつた。英学、独逸《ドイツ》学、数学、漢学、国学、何でも御座れの荒物屋で、重《おも》に陸軍士官学校、幼年学校の試験応募者の為めに必須の課目を授くるといふ、今でも好く神田、本郷|辺《へん》の中通《なかどほり》に見るまことにつまらぬ学校で、自分等が知つてから二年ばかり経《た》つて、其学校は潰《つぶ》れて了《しま》ひ、跡には大審院の判事か何かが、その家を大修繕して、裕《ゆた》かに生活して居るのを見た。けれど其古風な門は依然たる昔の儘《まゝ》で、自分は小倉《こくら》の古袴《ふるばかま》の短いのを着、肩を怒《いから》して、得々《とく/\》として其門に入つて行つたと思ふと、言ふに言はれぬ懐《なつ》かしい心地がし
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