/\》寝られねえに、酒を食《くら》はせて、勝手な事を言はせて置くつて言ふ法は無《ね》えだ。駐在所で意気地が無くつて、何うする事も出来ねえけりや、村で成敗《せいばい》するより仕方が無えだ。爺《とつ》さん退《ど》かつせい、放さつせい」と二十一二の体の肥つた、血気の若者は、取られた袂《たもと》を振放つて、いきなり、重右衛門の横面《よこつら》を烈しく撲つた。
「此奴《こいつ》!」
 と言つて、重右衛門は立上つたが、其儘《そのまゝ》その若者に武者振り付いた。若者は何のと金剛力を出したが、流石《さすが》は若者の元気に忽地《たちまち》重右衛門は組伏せられ、火のごとき鉄拳《てつけん》は霰《あられ》とばかりその面上頭上に落下するのであつた。
 見兼ねて、老人が五六人寄つて来て、兎に角この組討は引分けられたが、重右衛門は鉄拳を食ひし身の、いつかなこの仲裁を承知せず、よろ/\と身体《からだ》をよろめかしながら、猶《なほ》其相手に喰つて蒐《かゝ》らうとするので、相手の若者は一先《ひとまづ》其儘次の間へと追遣られた。
「おい、人を撲《なぐ》らせて、相手を引込ませるつて言ふ法は何所《どこ》にあるだ。おい、こら、相手を出せ、出さねえだか」
 と重右衛門は烈しく咆哮《はうかう》した。
 今出すから、まア一先《ひとまづ》坐んなさいと和《なだ》められて、兎に角再び席に就《つ》いたが、前の酒を一息に仰《あふ》つて、
「おい、出さねいだか」
 と又叫んだ。
 相手に為《す》るものが無いので、少時《しばし》頭を低《た》れて黙つて居たが、ふと思出したやうに、
「おい出さんか。根本三之助! 三之助は居ないか」
 と云つて、更に又、
「酒だ! 酒だ! 酒を出せ」
 と大声で怒鳴《どな》つた。
 云ふが儘に、酒が運んで来られたので、今|撲《な》ぐられた憤怒《いかり》は殆ど全く忘れたやうに、余念なく酒を湯呑茶椀で仰《あふ》り始めた。かうなつて、構はずに置いては、始末にいけぬと誰も知つて居るので、世話役の一人が立上つて、
「重右衛門! もう沢山《たくさん》だから帰らうではねえか、余り飲んでは体に毒だアで……」
 と其傍に行つた。
「体に毒だと……」首をぐたりとして、「体に毒だアでと、あんでも好いだ。帰るなら奴等《うぬら》帰れ。この藤田重右衛門は、これから、根本三之助と」
 舌ももう廻らぬ様子。
「まア、話ア話で、後で沢
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