とも……奴ア、これが楽みで、この手伝酒を飲むのが半分目的で火をつけるのですア」
 暫くすると、
「何だと、この重右衛門が何うしたと……この重右衛門が……」
 といふ恐ろしく尖《とが》つた叫声が、その次の大広間から聞える。
「先生……また酔つたナ」
 と友は言つた。
 次の間で争ふ声!
「何《なあ》に、貴様が火を放《つ》けると言つたんぢやねえ。貴様が火を放けようと、放けまいと、それにやちやんと、政府《おかみ》といふものがある。貴様も一度は、これで政府《おかみ》の厄介に為つた事が有るぢやねえか」
 かう言つたのは錆《さ》びのある太い声である。
「何だと、……己《おれ》が政府《おかみ》の厄介に為らうが為るまいが、何も奴等《うぬら》の知つた事つちや無《ね》えだ。何が……この村の奴等……(少時《しばし》途絶えて)この藤田重右衛門に手向ひするものは一人もあるめい。かう見えても、この藤田重右衛門は……」
 と腕でも捲《まく》つたらしい。
「何も貴様が豪《えら》くねえと言ひやしねえだア、貴様のやうな豪い奴が、この村に居るから困るつて言ふんだ」
「何が困る……困るのは当り前だ。己がナ、この藤田重右衛門がナ、態々《わざ/\》困るやうにして遣るんだ」
 非常に酔つて居るものと見える。
「酔客《よつぱらひ》を相手にしたつて、仕方が無えから、よさつせい」
 と留める声がする。
 暫時《しばし》沈黙《だんまり》。
「だが、重右衛門ナア、貴様も此村で生れた人間ぢや無えか、それだアに、此様《こんな》に皆々《みんな》に爪弾《つまはじき》されて……悪い事べい為て居て、それで寝覚《ねざめ》が好いだか」
 と言つたのは、前のとは違つた、稍《やゝ》老人らしい口吻《くちぶり》。
「勝手に爪弾《つまはじき》しやアがれ、この重右衛門様はナ、奴等《うぬら》のやうなものに相手に為《さ》れねえでも……ねつから困らねえだア……べら棒め、根本三之助などと威張りやアがつて元ア、賽銭箱《さいせんばこ》から一文二文盗みやがつたぢやねえだか」
「撲《なぐ》つて了《しま》へ」
 と傍《かたはら》から憤怒に堪へぬといふやうな血気の若者の叫喚《さけび》が聞えた。
「撲れ! 撲れ!」
「取占《とつち》めて了へ」
 と彼方《あつち》此方《こつち》から声が懸る。
「何だ、撲《なぐ》れ? と。こいつは面白れえだ。この重右衛門を撲るものがあるなら
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