威嚇《おど》すのが習《ならひ》。村方では又火でも放《つ》けられては……と思ふから、仕方なしに、言ふまゝに呉れて遣る。すると好気《いゝき》に為つて、幅《はゞ》で、大風呂敷を携《たづさ》へて貰つて歩くといふ始末。殆ど村でも持余した。それがまだ其中は好かつたが、ある時ふと其感情を損《そこ》ねてからと言ふものは、重右衛門|大童《おほわらは》になつて怒つて、「何だ、この重右衛門一人、村で養つて行けぬと謂《い》ふのか。そんな吝《けち》くさい村だら、片端から焼払つて了へ」
と酔客の如く大声で怒鳴つて歩いた。
で、今回の放火騒動《ひつけさわぎ》。
九
山県の家の全焼したあくる日は、益々警戒に警戒を加へて、重右衛門の行為は勿論《もちろん》、その娘ツ子の一挙一動、何処《どこ》に行つた、彼処《かしこ》に行つたといふ事まで少しも注意を怠らなかつた。否、消防の人数を加へ、夜番の若者を増して、十五分毎には柝木《ひやうしぎ》と忍びとが代る/″\必ず廻つて歩くといふ、これならば何《ど》んな天魔でも容易に手を下す事が出来まいと思はれる許《ばかり》の警戒を加へて居て、それは中々一通の警戒ではないのであつた。であるのに、その厳しい防禦線《ばうぎよせん》の間を何う巧《たくみ》に潜つてか、其夜の十時少し過ぎと云ふに、何か変な臭ひがすると思ふ間もなく、ふす/\と怪しい音がするので、まだ今寝たばかりの雨戸を繰つて見ると、これはそも驚くまじき事か、火の粉《こ》が降るやうに満面に吹き附けて、すぐ下の家屋の窓からは、黒く黄《きいろ》い烟《けむ》と赤い長い火の影とが……
「火事だア、火事だア」
とこの世も終りと云はぬばかりの絶望の叫喚《さけび》が凄《すさま》じく聞えた。
自分は慌《あわ》てて、跣足《はだし》で庭に飛び出した。下の家とは僅《わづ》か十間位しか離れて居らぬので、母屋《おもや》では既に大騒を遣つて居る様子で、やれ水を運べの桶《をけ》を持つて来いのと老主人が声を限りに指揮《さしづ》する気勢《けはひ》が分明《はつきり》と手に取るやうに聞える。自分もこの危急の場合に際して、何か手助になる事もと思つて、兎《と》に角《かく》母屋の方に廻つて見たが、元より不知案内の身の、何う為る事も出来ぬので、寧《むし》ろ足手纏《あしてまと》ひに為らぬ方が得策と、其儘《そのまゝ》土蔵の前の明地《あきち》に引返して
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