女郎買をやめて、小作人まかせに荒れて居た田地を耕し、人の為めに馬を曳《ひ》いて賃金を取り、養蚕《やうさん》の手伝をして日当を稼ぐなど、それは村の人が一時眼を聳《そば》だてる程の勤勉なる労働者と為つた
其頃である。稍《やゝ》その信用が恢復しようとした頃である。村に世話好の男があつて、重右衛門も此頃では余程身持も修《をさ》まつて来たやうだし、あゝ勤勉に労働する処を見ると、将来にも左程希望が無いとも云へぬ。一つ相応な嫁を周旋して、一層身が堅まるやうに為《し》て遣らうではないかといふ者があつたが、それに賛成する者も随分あつて、彼れかこれかといよ/\相応の嫁を探して遣る事と為つた。
其候補者には誰が為つたらう。
その頃、村の尽頭《はづれ》に老婆と一緒に駄菓子の見世《みせ》を出して、子供等を相手に、亀の子焼などを商《あきな》つて、辛うじて其日の生活を立てて行く女があつた。生れは何でも越後《ゑちご》の者だといふ事だが、其処に住んだのは、七八年前の事で、始めはその父親らしい腰の曲つた顔の燻《くすぶ》つた汚《きたな》らしい爺様《ぢいさま》も居つた相だが、それは間もなく死んで、今では母の老婆と二人暮し。村の若い者などが時々遊びに行く事があつても、不器量で、無愛想で、おまけに口が少し訥《ども》ると来て居るから、誰も物好に手を出すものもなく、二十五歳の今日まで、男といふものは猫より外に抱いた事も無かつた。けれど其性質は悪くはない相で、子供などには中々優しくする様子であるから、何うだ、重右衛門、姿色《みめ》よりも心と言ふ譬《たとへ》もある、あれを貰ふ気は無いかと勧めた。
重右衛門も流石《さすが》に二の足を踏んだに相違ないが、余りに人から執念《しふね》く勧めらるゝので、それでは何うか好いやうにして下され、私等は、ハア、どうせ不具者《かたはもの》でごすでと言つて承知して、それより一月ならざるに、重右衛門の寂《さび》しい家宅《いへ》にはをり/\女の笑ふ声が聞える様になつた。
村の人はこれで重右衛門の身が堅まつたと思つて喜んだのである。けれどそれは少くとも重右衛門のやうな性格と重右衛門のやうな先天的不備なところがある人間には間違つた皮相な観察であつた。一体重右衛門といふ男は負け嫌ひの、横着の、図々しいところがあつて、そして其上に烈《はげ》しい/\熱情を有《も》つて居る。で、この熱情が旨《う
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