傍に行つて見ると、体がぐたりとして水涕《みづつぱな》を出したまゝ、早既に締《こと》が切れて居る。驚いて、これを村の世話役に報告する、湯田中の重右衛門に使を出す、と、重右衛門は遊廓の二階で、大睾丸を抱へて大騒を遣つて居る最中だつたさうで、祖父《ぢゝ》が死んだといふ悲むべき報知を聞いても、更に涙一つ滴《こぼ》さうでもなく、「死んで了つたものは仕方が無え、明日帰つて、緩《ゆつく》り葬礼《ともれひ》を出して遣るから、もう帰つて呉れても好い」との無情な言草には、使の者も殆《ほとん》ど呆《あき》れ返つたとの事だ。
 兎に角重右衛門は此頃からそろ/\評判が悪くなつたので、その祖父の孫に対する愛を知つて居る人は、他村の者までも、重右衛門の最後の必ず好くないといふ事を私語《さゝや》き合つたのである。
 祖父が死んだので、父親母親は一先《ひとまづ》村へ帰つて、少時《しばらく》其家に住んで居た。が、この親子の間柄《あひだ》といふものは、祖父が余り過度に愛した故《せゐ》でもあらうが、それは驚くばかり冷《ひやゝ》かで、何かと言つては、直《ぢ》き親子で衝突して、撲《なぐ》り合ひを始める。仲裁に入ると、その仲裁に入つた者まで撲り飛ばして、傷を負はせるといふ有様なので、後には誰も相手に為る者が無くなつて了つた。で、この親と子の間に少なからざる活闘が演じられたが、重右衛門は体格が大きく、馬鹿力があつて、其上意地が非常に強く、酒を飲むと、殆ど親子の見さかひも無くなつて了ふものだから、流石《さすが》の親達も終《つひ》には呆れ返つてこんな子息《むすこ》の傍には居られぬ、と一年|許《ばかり》して、又長野へ出て行つた。
 これからが重右衛門の罪悪史である。祖父は歿《な》くなる、親は追出す、もう誰一人その我儘《わがまゝ》を抑《と》めるものが無くなつたので、初めの中は自分の家の財産を抵当に、彼方《あつち》此方《こつち》から金を工面して、猶《なほ》その放蕩《はうたう》を続けて居た。けれど重右衛門とて、丸きり意識を失つた馬鹿者でも無いから、満更その自分の一生に就いて思慮を費《つひ》やさぬ事も無いので、時にはいろ/\その将来の事を苦にして、自分の家の没落をも何うかして恢復《くわいふく》したいと思つた事もあつたらしい。其証拠には、それから、大凡《およそ》一年ばかり経つと、丸で人間が変つたかと思はれるやうに、もうふつゝりと
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