つたら、奴め、莞爾《にこ/\》と笑つて居やがる。背中を一つ喰はせて遣ると、いひ[#「いひ」に傍点]/\/\と笑やがつたが、其笑ひ様つて言つたら、そりや形容《かたち》にも話にも出来ねえだ。本当に、私あ、随分人を湯田中に連れて行つたが、重右の奴ぐらゐ、手数《てかず》の懸《かゝ》つたのは無え」
と高く笑つて、
「それにしても、考へると、可笑《をかし》くつてなんねえだよ。あの大《でか》い睾丸を拘へてよ、それで姫ツ子を自由に為《し》ようつて言んだから、こいつは中々骨が折れるあ!」
と言ふのが例だ。
で、其からといふものは、重右衛門は好く湯田中に出懸けて行つたが、金を費《つか》ふ割に余りちやほやされないので、つねに悒々《おふ/\》として楽しまなかつたといふ事である。
其中には段々家は失敗に失敗を重ねて、祖父が一人真面目に心配して居るけれど、さてそれを何うする事も出来ず田地は益々人手に渡つて、祖父の死んだ時(それは丁度重右衛門が二十二の時であつた)にはもう田畠《でんばた》合せて一町歩位しか無かつたとの話だ。ことに、その祖父の死ぬ時に一つの悲しい話がある。それは、其頃重右衛門は湯田中に深く陥《はま》つて居る女があつたとかで、家の衰へて行くのにも頓着せず、米を売つた代価とか、蚕《かひこ》を売つた金とかありさへすれば、五両なり十両なりそれを残らず引攫《ひつさら》つて飛出して、四日、五日、その金の有らん限り、流連《ゐつゞけ》して更に家に帰らうとも為なかつた。父親と母親とは重右街門とは始めから仲が悪いので、商売を為るとか言つて、其頃長野へ出て居つたから、家には只死に瀕した祖父一人。その祖父は曾《かつ》て孫を此上なく寵愛《ちようあい》して、凡《およ》そ祖父の孫に対する愛は、遺憾《ゐかん》なく尽して居つたにも拘《かゝは》らず、その死の床には侍《はべ》つて居るものが一人も無いとは!
二日程前から病に罹《かゝ》つて、老人はその腰の曲つた姿を家の外に顕《あら》はさなかつたが、其三日目の晩に、あまり家の中がしんとして居ると言ふので、隣の者が行つて見ると、老人《としより》行火《あんくわ》に凭《よ》り懸つたまゝ、丸くなつて打伏して居る。
「爺様《ぢいさん》! 何うだね」
と声を懸けても、返事が無い。
「爺様!」
と再び呼んでも、猶《なほ》返事を為ようとも為ない。これは不思議だと怪んで、急いで
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