ら一所に帰らうぢやありませんか」
「さう願へりや、はア結構だす……」
と背の低い方が答へた。
又二三歩黙つて歩いた。
「それで君達の国は一体何処です?」
「私等の国ですか、私等の国は信州でがすが……」
「信州の何処《どこ》?」
「信州は長野の在でがすア」
「何時《いつ》東京《こつち》に来たのです」
「去年の十二月、来たんですが、山中《やまんなか》から、はア出て来たもんだで、為体《えてい》が分らないでえら困りやした」
「塩町の湯屋は親類ですか」
「親類ぢやありやしねえが、村の者で、昔村で貧乏した時分、私等の親が大層世話をした事がある男でさア。十年前に国元ア夜逃げする様にして逃げて来たゞが、今ぢやえら身代《しんだい》のう拵《こしら》へて、彼地処《あすこ》でア、まア好い方だつて言ふたが、人の運て言ふものは解らねえものだす」
自分はこの時からこの二人に親しく為《な》つたので、段々話を為《し》て見ると、言ふに言はれぬ性質の好い処があつて、背の高い方は田舎者に似合はぬ才をも有《も》つて居るし、又背の低い方は自分と同じく漢詩を作る事を知つて居るので、一月もその同じ道を伴立《つれだ》つて帰る中《うち》には、十年も交つた親友のやうに親しくなつて、互の将来の思想も語り合へば、互の将来の目的も語り合つて、時間の都合で一所に帰られぬ時は非常に寂《さび》しく感ずるといふ程の交情になつて了つた。自分は四谷御門の塵埃《ほこり》の間を歩きながら、幾度二人に向つて、陸軍志願を勧めたであらうか。幾度二人に漢学の修養の必要を説いたであらうか。自分は其頃兄に教はつて居た白文《はくぶん》の八家文《はつかぶん》の難解の処を読み下し、又は即席に七|絶《ぜつ》を賦《ふ》して、大いに二人を驚かした。ことに背の低い山県行三郎《やまがたかうざぶらう》といふのは、自分の漢詩に巧《たくみ》であることを知つて、喜んでその自作の漢詩を示し、好くその故郷《ふるさと》の雪の景色を説明して自分に聞かせた。自分の若い空想に富んだ心は何《ど》んなにその二人の故郷の雪景色なるものを想像したであらうか。二人は言ふのである。自分の故郷は長野から五里、山又山の奥で其の景色の美しさは、とても都会の人の想像などでは解りこは無《ね》えだアと。否、そればかりではない、背の低い山県は学問の時間の間に、その古い手帳をひろげて、其処に描かれたる拙《つた
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