の重り合つた山の根を根気よく曲り曲つて流れて居るが、或ところには風情ある柴の組橋《くみはし》、或るところには竜《たつ》の住みさうな深い青淵《あをふち》、或は激湍《げきたん》沫《あわ》を吹いて盛夏|猶《なほ》寒しといふ白玉《はくぎよく》の渓《たにがは》、或は白簾《はくれん》虹《にじ》を掛けて全山皆動くがごとき飛瀑《ひばく》の響、自分は幾度足を留めて、幾度激賞の声を挙げたか知れぬ。で、その曲り曲つた渓流に添つて、涼しい水の調《しらべ》に耳を洗ひながら、猶三十分程も進んで行くと、前面《むかふ》が思ひも懸《か》けず俄《には》かに開けて、小山の丘陵のごとく起伏して居る間に、黄稲《くわうたう》の実れる田、蕎麦の花の白き畑、欝蒼《こんもり》と茂れる鎮守の森、ところどころに碁石を並べたやうに、散在して居る茅茸《かやぶき》の人家。
手帳の画がすぐ思出された。
あゝこの静かな村! この村に向つて、自分の空想勝なる胸は何んなに烈しく波打つたであらうか。六年間、思ひに思つて、さて今のこの一瞥《いちべつ》。
殊に、自分は世の塵の深きに泥《まみ》れ、久しく自然の美しさに焦《こが》れた身、それが今思ふさまその自然の美を占める事が出来る身となつたではないか。この静かな村には世に疲れた自分をやさしく慰めて呉れる友二人まであるではないか。
顧ると、夕日は既に低くなつて、後の山の影は速くその鎮守の森に及んで居る。壁はいよ/\深碧《ふかみどり》の色を加へて、野中の大杉の影はくつきりと線を引いたやうに、その午後の晴やかな空に聳《そび》えて居る。山県の家は何でもその大杉の陰と聞いて居たので、自分は眼を放つてじつと其方《そなた》を打見やつた。
静かな村!
五
と思つた途端、ふと自分の眼に入つたものがある。大杉の陰に簇々《むら/\》と十軒ばかりの人家が黒く連《つらな》つて居て、その向ふの一段高い処に小学校らしい大きな建物があるが、その広場とも覚しきあたりから、二道の白い水が、碧《みどり》なる大空に向つて、丁度大きな噴水器を仕掛たごとく、盛《さかん》に真直に迸出《へいしゆつ》して居る。
そしてその末が美しく夕日の光にかゞやき渡つて見える。
「あれは何だね」
折から子供を背負つた十歳《とを》ばかりの洟垂《はなたら》しの頑童《わんぱく》が傍《そば》に来たので、怪んで自分は尋ねた。
「あれア
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